ふとさ、なにやってんだろ
とか
思わん??
人の評判や目を気にしてみたり
愛想笑いしてみたり。
どうせさ、腹の底から笑わないとうまく笑えないこと
わかってんだからさ。
なんなんだろうね。
いや、自分に素直に生きたらいいだけでしょ。
誰もが。
会社が
とか
明日が
とか
ほんまは関係ないよね。
会社がどうしたんだよって。
いかんと死ぬん?って。
ずっと働くなって事じゃなくてさ
働く事は素晴らしいんだけどさ
うんざりしながら同じ場所に居続ける意味ってなんなの?って。
なにかしら学べるならいい。
人生経験だと思えてるならいい。
逃げない事は強くてすごい。
でも、逃げなさすぎて死んじゃう人いるじゃん?
頑張れなんて俺はいえんわ。
よく頑張ってるもんな、みんなさ。
逃げたきゃ逃げろよ。
体勢立て直してまた戦えばええじゃん。
怒られるからとか
誰かになんかいわれるからとか
そんなん関係ないで。
方法はいくらだってあるだろ。
頑張りたいなら頑張ればいい。
でもさ、頑張りたくないなら他に何かあるんじゃないかな。
何もやらないってのはどうかと思うけどさ
自分から頑張りたいと思える事、あるかもよ。
人になんて言われても自分らしく生きるんだよ。
迷惑をかけるのはよくないけどな。
でも、迷惑かけた100倍返せばええじゃん。
誰にも迷惑かけずに生きとるやつなんかおらんけえ。
逃げたってええよ。
辞めてもええ。
死なんとけばそれでええよ。
お金がないくらいで死ぬな。
頑張れないからって死ぬな。
死ぬくらいなら何もせんでええじゃろ。
誰になんて言われてもさ
金より命じゃろ。
なんも出来んときだってあるわ。
ぼろぼろになってもさ
何回だってやり直せるんだから。
イヤな事があってもな
無気力になるだろうけど
そういうときはなんもせんでええと思うよ。
1日何もせずに過ぎてしまう時もあるよな。
そんな時は焦るよな。
でも後から考えたらそんな日も大切だったりするんよな。
理由もなくね、
書いてみたくなったので書いてみたよ。
常識にがんじがらめになって
苦しくなってしまってる人が偶然たどり着きますように。
2014年5月25日日曜日
2014年5月21日水曜日
一方的な関係性だと捉えればイライラしない。
少し悲しい考えかもしれませんが、
なおきちはいつも関係性っていうのは一方的な物だと考えています。
これは、もともと短気な自分がガッカリしないようにだったり
悲しくなって相手を責めたりしないようにと
思いついた考え方かもしれません。
しかし、突き詰めていけばいくほど
ここに集約するのです。
恋愛においても相思相愛という言葉がありますが
それは、「状態」なだけであって
状態は常に変化していくと考えています。
自分が相手を一方的に好きになる事と
相手が自分を一方的に好きになってくれる事。
この組み合わせで相思相愛となるんですよね。
だから、「相手に対する自分の想い」と同等の想いを
こっちにも持って欲しいなんて思うのはそもそもおかしな話しであり
人は人、自分は自分なのだからフラットに考えると
それは当然の事だと思うのです。
これは、何回も女性にふられた事があり、
諦める為に納得する為に深く深く考えた結果
こういう考えにいたったんだと思います。笑
人間関係においても全く同じで、
自分が相手を気に入ってるからといって
相手も自分を気に入ってくれてるとは限らない。
逆に、自分が相手を気に入ってないからと言って
相手から好かれないとは限らない。
女性の場合、これで悩んでる人が結構多いです。
自分は相手の事なんとも思っていないのに
すごくしつこくされてしまう。。
そういう相談をよく受けます。
性別問わず、相手が現在自分の事をどのようにどれくらい
好意を持ってくれているのかを推測する事は
とても大切です。
人間同士というのは適切な距離を保つ事により、
同じ空間に共存する事が出来るからです。
距離感をはからずにいると
相手から一気に距離を縮められた時に
「そんなつもりなかったのに。。」
って事になります。
でも、ある程度相手の好意レベルを推測しておけば
あらかじめ距離をとっておけるので
距離を縮められてもさらに遠くに距離をとる余裕ができるのです。
人間関係で苦しんでる人はこの相手との「距離」の取り方が
下手なんだろうなと思います。
仕事先ではしょうがない事もありますが、
これもある程度の距離を作る事は可能です。
仕事の場合、上司に嫌われたら色々やりにくくなります。
これは、上司から距離をとられてしまってる状態になります。
だから、その場合はあえて自分から上司にとって不快にならないように
距離を近づけます。
その方法は、上司にとって心地よい、あるいは、メリットがある形で
距離をつめることがポイントだと思います。
めんどくさい仕事を率先してやる、コーヒーをいれる、
仕事を手伝う、仕事以外で食事に誘う等。
上司の性格や価値観によって判断しないといけないので
上記の事はあてはまらない 場合もありますが
そういう精神姿勢というのは大切だと思っています。
自分は相手とフェアだと思うから
イライラしてしまうんだと思うんです。
卑下しろという事ではなく、
対等だという感覚を捨てればいい。
そしたらスーパーのレジにイライラする事もなくなり
友達と遊びに行く時に友達が遅刻してきてもイライラしなくなる。
全ての事に自分が予め対処する事が出来れば
人のせいになんてする必要がない。
イライラするっていうのは
目下の人が目上の自分に対して失礼な事をしているという
感覚が少なからずあるからだと思います。
ほとんどの人は、自分が会いたくて会いたくてしょうがなかった人が
時間に遅れようが、忙しいのに自分の為に時間をとってくれたということに
感謝するだけで、そんなにイライラすることはないはずです。
有名人、大会社の社長さん、恩師、師匠。。
一生頭の上がらないような人が少々遅れてもイライラなんてしないですよね。
それは、自分より明らかに格上の人だと判断してるからなんですね。
ということは、逆に考えればイライラする対象の事はどうでしょう。。
一概には言えないとは思うし、ケースバイケースではあるけど、
相手が悪いと責める前に自分自身の精神姿勢を整え、
相手を許す理由を考えた方が建設的な気がしました。
。。まあ、僕自身もともと物凄く短気で
あまり偉そうな事は言えないんですけどね。笑
修行中です!!
相手と同等だと考える事自体が驕りだと自分には言い聞かせ
どんな人にも同じ目線、もしくは失礼にならない程度に
自分が下からの目線を意識していきます。
なおきちはいつも関係性っていうのは一方的な物だと考えています。
これは、もともと短気な自分がガッカリしないようにだったり
悲しくなって相手を責めたりしないようにと
思いついた考え方かもしれません。
しかし、突き詰めていけばいくほど
ここに集約するのです。
恋愛においても相思相愛という言葉がありますが
それは、「状態」なだけであって
状態は常に変化していくと考えています。
自分が相手を一方的に好きになる事と
相手が自分を一方的に好きになってくれる事。
この組み合わせで相思相愛となるんですよね。
だから、「相手に対する自分の想い」と同等の想いを
こっちにも持って欲しいなんて思うのはそもそもおかしな話しであり
人は人、自分は自分なのだからフラットに考えると
それは当然の事だと思うのです。
これは、何回も女性にふられた事があり、
諦める為に納得する為に深く深く考えた結果
こういう考えにいたったんだと思います。笑
人間関係においても全く同じで、
自分が相手を気に入ってるからといって
相手も自分を気に入ってくれてるとは限らない。
逆に、自分が相手を気に入ってないからと言って
相手から好かれないとは限らない。
女性の場合、これで悩んでる人が結構多いです。
自分は相手の事なんとも思っていないのに
すごくしつこくされてしまう。。
そういう相談をよく受けます。
性別問わず、相手が現在自分の事をどのようにどれくらい
好意を持ってくれているのかを推測する事は
とても大切です。
人間同士というのは適切な距離を保つ事により、
同じ空間に共存する事が出来るからです。
距離感をはからずにいると
相手から一気に距離を縮められた時に
「そんなつもりなかったのに。。」
って事になります。
でも、ある程度相手の好意レベルを推測しておけば
あらかじめ距離をとっておけるので
距離を縮められてもさらに遠くに距離をとる余裕ができるのです。
人間関係で苦しんでる人はこの相手との「距離」の取り方が
下手なんだろうなと思います。
仕事先ではしょうがない事もありますが、
これもある程度の距離を作る事は可能です。
仕事の場合、上司に嫌われたら色々やりにくくなります。
これは、上司から距離をとられてしまってる状態になります。
だから、その場合はあえて自分から上司にとって不快にならないように
距離を近づけます。
その方法は、上司にとって心地よい、あるいは、メリットがある形で
距離をつめることがポイントだと思います。
めんどくさい仕事を率先してやる、コーヒーをいれる、
仕事を手伝う、仕事以外で食事に誘う等。
上司の性格や価値観によって判断しないといけないので
上記の事はあてはまらない 場合もありますが
そういう精神姿勢というのは大切だと思っています。
自分は相手とフェアだと思うから
イライラしてしまうんだと思うんです。
卑下しろという事ではなく、
対等だという感覚を捨てればいい。
そしたらスーパーのレジにイライラする事もなくなり
友達と遊びに行く時に友達が遅刻してきてもイライラしなくなる。
全ての事に自分が予め対処する事が出来れば
人のせいになんてする必要がない。
イライラするっていうのは
目下の人が目上の自分に対して失礼な事をしているという
感覚が少なからずあるからだと思います。
ほとんどの人は、自分が会いたくて会いたくてしょうがなかった人が
時間に遅れようが、忙しいのに自分の為に時間をとってくれたということに
感謝するだけで、そんなにイライラすることはないはずです。
有名人、大会社の社長さん、恩師、師匠。。
一生頭の上がらないような人が少々遅れてもイライラなんてしないですよね。
それは、自分より明らかに格上の人だと判断してるからなんですね。
ということは、逆に考えればイライラする対象の事はどうでしょう。。
一概には言えないとは思うし、ケースバイケースではあるけど、
相手が悪いと責める前に自分自身の精神姿勢を整え、
相手を許す理由を考えた方が建設的な気がしました。
。。まあ、僕自身もともと物凄く短気で
あまり偉そうな事は言えないんですけどね。笑
修行中です!!
相手と同等だと考える事自体が驕りだと自分には言い聞かせ
どんな人にも同じ目線、もしくは失礼にならない程度に
自分が下からの目線を意識していきます。
2014年5月18日日曜日
ここ数日間の気付き。〜価値と尖る事。〜
お風呂に入ってる時や運転している時、
風景を見て風を感じてる時等に
「ふと」感じる事があります。
思考してる事自体意識していないその時に
まるで「降りてくる」ような「湧いてくる」ような物を
「直感」と呼んでいます。
根拠も何もない、恐らく数日間の経験や見たもの、感じた物が
脳内に残っていて脈絡もなく出てくるのだと思いますが
これが馬鹿に出来ません。
もう、とっくに理由を探す事は止めました。
それよりも、湧いて出てきた直感の言葉の意味を
脳内で検証する事に夢中になるのです。
「価値」
「尖る事」
「ジャンル分け」
ここ数日間の直感をまとめるとこの3つが大きい。
特に「価値」を高める事。
これがどうも自分を焦らせる。
価値を高めるという事は尖る事であり
ジャンル分けすることであると言っている。
そこからアイデアを展開していく。
形にしたくてどうしょうもなくなる。
落ち着かなくなる。
壁に打ち当たるまで突き進んで
打ち当たっては方向を変える。
そんな、掃除機のルンバのような動きをしているのが
最近です。
こうなってくると
そのルンバが通るであろう「針の穴 」を探し続けてしまう。
あぁ、自分らしくいられているという実感が押し寄せる。
探求、追求していく事は
人生において最高の楽しみだとよく思う。
正解がない事に自分なりの正解を出し
日々、磨いていく事。
この作業がなんとも言えず好き。
過去の自分の考えの間違いに自分自身で気付いた時に
明確にその間違いの理由を自分自身に告げた時に
過去の自分が壊れ(消え)新しい自分が生まれる。
そんな時、なんとも言えない「自由」な感情が押し寄せるのです。
まるで、なんでも出来るような、どこまでも行けるような。
一言で言えば「最強」とも思えるような。
しかし、次の瞬間、そのエゴに気付くのです。
なんと愚かな人間なのだと戒める自分自身が出てくるのです。
そして冷静を取り戻し何事もなかったかのように
思考の続きを「する。」
エゴの塊のような自分は本来の自分なのだろうな。
あわよくば全てを掌握してやろうと思う程の
湧きいでる強い感情。
それを経験や環境が創り出した「利口(自称)」な
自分が制御してんだろうな。
片隅にどうしょうもなく自信が無い自分がいて
その近くに博愛主義の自分がいて。
矛盾するたくさんの自分が丸い心の中の
割合を取り合ってる。
その割合によってカクテルのように
アイデアの質や量や、核となるものが変わってくる。
こうして、自分自身の思考の動きを分析し
残している自分自身もまた今割合を獲得しただけなのだろう。
きっと誰もが相反する自分自身を抱えてる。
その矛盾に苦しみ、時には人に批判され悲しくなるだろう。
でも、矛盾や、さっき言ってた事と明日言う事が違う事なんて
そんなに不思議な事ではない。
人は、整合性がとれないことに関してすごくシビアなんだよね。
誰かがチグハグな事を言っていたとしても
昨日のその人と今日のその人が違う、ただそれだけの事なのに。
あと、もう1つ。
「何事も人のせいにしない。」
これも強く思った事。
きっと、これから必要になるのだろう。
誰かの失敗で自分我被害を被る事になろうとも
それを未然に防いであげる事が出来なかった自分の落ち度。
そう考えればどこまで行っても誰かのせいには出来ないんよね。
その事を深いレベルで納得したい。
もっともっと深く。
そうすれば何事にも腹を立てずに済む。
自分の為でもあるし、対人関係に置いて重要な概念になるはずだ。
話しがあっちいったりこっちいったりしてるが、
結局言いたいのは「直感 」というものは
過去の経験のデータを脳がフル活用して
顕在意識では理由がわからずとも自動的に
導きだしてくれてる答えだということ。
少なくとも俺はそれを信じようと思う。
現在の自分は周りから見てどうなんだろ。
もしかしたら取るに足らない存在かもしれない。
もしかしたら一部だけでも共感してもらえているのかもしれない。
しかし、大切なのは人からどう思われている時でも
自分というものをしっかり持ち、変わらず行動し続けるということだ。
あ、そうそう。
光を受け入れるということは
影も引き受けるということだと最近気付いたんだ。
いいことばかりじゃないよ。
マイナスに思える事も「在るもの」として認め、引き受け、
最善を尽くす。
そもそも人間なんてものは「選択」しているように見えて
大きな意味ではそんなおこがましい事は
考えてはいけないのかもしれない。
選択しようとするからおかしくなるのか。
本来、どうすればいいかなんて決まってんだろ。
自分なりの「正解」を見て見ぬ振りしたとき
深い部分での「正解」に気付かないふりしたとき
きっと、「正解」ってやつも容赦なくやってくるんだろ。
形はどうあれ、ね。
小さく大きな存在。
矛盾の塊。
自身のイメージが自身の姿形を決める。
自分以外の人が向けてくるイメージに影響されてしまう。
人間ってのは思ってるより本当は動物なんかな。
なんかそんな気がした。
久々に書いたな。
支離滅裂かな。
書きたい事を書けばこうなる。
自己満足。
うん、そのとおりだ。
風景を見て風を感じてる時等に
「ふと」感じる事があります。
思考してる事自体意識していないその時に
まるで「降りてくる」ような「湧いてくる」ような物を
「直感」と呼んでいます。
根拠も何もない、恐らく数日間の経験や見たもの、感じた物が
脳内に残っていて脈絡もなく出てくるのだと思いますが
これが馬鹿に出来ません。
もう、とっくに理由を探す事は止めました。
それよりも、湧いて出てきた直感の言葉の意味を
脳内で検証する事に夢中になるのです。
「価値」
「尖る事」
「ジャンル分け」
ここ数日間の直感をまとめるとこの3つが大きい。
特に「価値」を高める事。
これがどうも自分を焦らせる。
価値を高めるという事は尖る事であり
ジャンル分けすることであると言っている。
そこからアイデアを展開していく。
形にしたくてどうしょうもなくなる。
落ち着かなくなる。
壁に打ち当たるまで突き進んで
打ち当たっては方向を変える。
そんな、掃除機のルンバのような動きをしているのが
最近です。
こうなってくると
そのルンバが通るであろう「針の穴 」を探し続けてしまう。
あぁ、自分らしくいられているという実感が押し寄せる。
探求、追求していく事は
人生において最高の楽しみだとよく思う。
正解がない事に自分なりの正解を出し
日々、磨いていく事。
この作業がなんとも言えず好き。
過去の自分の考えの間違いに自分自身で気付いた時に
明確にその間違いの理由を自分自身に告げた時に
過去の自分が壊れ(消え)新しい自分が生まれる。
そんな時、なんとも言えない「自由」な感情が押し寄せるのです。
まるで、なんでも出来るような、どこまでも行けるような。
一言で言えば「最強」とも思えるような。
しかし、次の瞬間、そのエゴに気付くのです。
なんと愚かな人間なのだと戒める自分自身が出てくるのです。
そして冷静を取り戻し何事もなかったかのように
思考の続きを「する。」
エゴの塊のような自分は本来の自分なのだろうな。
あわよくば全てを掌握してやろうと思う程の
湧きいでる強い感情。
それを経験や環境が創り出した「利口(自称)」な
自分が制御してんだろうな。
片隅にどうしょうもなく自信が無い自分がいて
その近くに博愛主義の自分がいて。
矛盾するたくさんの自分が丸い心の中の
割合を取り合ってる。
その割合によってカクテルのように
アイデアの質や量や、核となるものが変わってくる。
こうして、自分自身の思考の動きを分析し
残している自分自身もまた今割合を獲得しただけなのだろう。
きっと誰もが相反する自分自身を抱えてる。
その矛盾に苦しみ、時には人に批判され悲しくなるだろう。
でも、矛盾や、さっき言ってた事と明日言う事が違う事なんて
そんなに不思議な事ではない。
人は、整合性がとれないことに関してすごくシビアなんだよね。
誰かがチグハグな事を言っていたとしても
昨日のその人と今日のその人が違う、ただそれだけの事なのに。
あと、もう1つ。
「何事も人のせいにしない。」
これも強く思った事。
きっと、これから必要になるのだろう。
誰かの失敗で自分我被害を被る事になろうとも
それを未然に防いであげる事が出来なかった自分の落ち度。
そう考えればどこまで行っても誰かのせいには出来ないんよね。
その事を深いレベルで納得したい。
もっともっと深く。
そうすれば何事にも腹を立てずに済む。
自分の為でもあるし、対人関係に置いて重要な概念になるはずだ。
話しがあっちいったりこっちいったりしてるが、
結局言いたいのは「直感 」というものは
過去の経験のデータを脳がフル活用して
顕在意識では理由がわからずとも自動的に
導きだしてくれてる答えだということ。
少なくとも俺はそれを信じようと思う。
現在の自分は周りから見てどうなんだろ。
もしかしたら取るに足らない存在かもしれない。
もしかしたら一部だけでも共感してもらえているのかもしれない。
しかし、大切なのは人からどう思われている時でも
自分というものをしっかり持ち、変わらず行動し続けるということだ。
あ、そうそう。
光を受け入れるということは
影も引き受けるということだと最近気付いたんだ。
いいことばかりじゃないよ。
マイナスに思える事も「在るもの」として認め、引き受け、
最善を尽くす。
そもそも人間なんてものは「選択」しているように見えて
大きな意味ではそんなおこがましい事は
考えてはいけないのかもしれない。
選択しようとするからおかしくなるのか。
本来、どうすればいいかなんて決まってんだろ。
自分なりの「正解」を見て見ぬ振りしたとき
深い部分での「正解」に気付かないふりしたとき
きっと、「正解」ってやつも容赦なくやってくるんだろ。
形はどうあれ、ね。
小さく大きな存在。
矛盾の塊。
自身のイメージが自身の姿形を決める。
自分以外の人が向けてくるイメージに影響されてしまう。
人間ってのは思ってるより本当は動物なんかな。
なんかそんな気がした。
久々に書いたな。
支離滅裂かな。
書きたい事を書けばこうなる。
自己満足。
うん、そのとおりだ。
2014年4月15日火曜日
心が前へと騒ぐ。
不要なメルマガとか解除しまくった!
物を捨てたり整理したり
こういう時期は何か新しい事がはじまるんだろうなと
変に人ごとのように思う。
自分の事なんだけどね。笑
行動してるのは自分なんだけど
なんか他人事。
だって意味分からんもん。
深夜にいきなり階段の下全部出してみたり
急に服を整理しだしたりね。笑
意識的にはモチベーションがあがったという状態になるけど
感覚的には身を任せるだけ。
こういうのは昔からある。
それに素直に従う事がいいと思ってる。
あ、そういう事なんだろうなって。
ほとんど直感だけで生きてきてるから
普通の人から見るとメチャクチャだと思うけど
俺にはそんなふうにしか出来んし
そんなふうにしかしたくないからな。
ある種人生は自動的に進んでいき
それを俯瞰してるような感覚があるよな。
もちろん、努力や成長は意識して行うのだけれど
それだけではダメな気がしてる。
自分らしくいることは
時に恐くなる時もあるけれど
嫌ではないんよな。
本当にこれでいいんだろうかという
単純に未来を心配する不安。
いわば、危機管理能力とでもいうのか。
起こってもいない事は出来るだけ心配せずにいたいね。
直感で行動する割に頭の中では最悪大丈夫なように、、なんて
常に考えてるから。
こういう感覚的な部分、自己流で積み上げてきてるけど
そらさんの話しには共感出来るところが
本当に多かったなと。
こういうの理解出来る人と出来ない人っておると思うんだけどさ、
なんていうんだろ、俺はスピリチュアルな事とかは
よくわからんけど事実、自分の人生を検証してみて
こういう感覚にたどり着いてきたわけなんだけど
徐々にそういうスピリチュアルな世界がないと
どうも説明が出来ない事ってたくさんあると思うんだよね。
タイミングとか色々ありえない出来事が大切な時期には
次々に起きていくんだよね。
しかも大概そういうのはこっちが動くからというよりも
向こうから話しがやってくるから説明がつかんのんよ。
そして自分の中での行動意欲。
素直にやりたい事をやろうとする時だけ出てくる指針。
自分らしく行くのか
世間的に正しいと思われるようにするのかで
行動は変わる。
ということは結果も変わる。
わくわくする方へ。
俺はいきたいかな。
物を捨てたり整理したり
こういう時期は何か新しい事がはじまるんだろうなと
変に人ごとのように思う。
自分の事なんだけどね。笑
行動してるのは自分なんだけど
なんか他人事。
だって意味分からんもん。
深夜にいきなり階段の下全部出してみたり
急に服を整理しだしたりね。笑
意識的にはモチベーションがあがったという状態になるけど
感覚的には身を任せるだけ。
こういうのは昔からある。
それに素直に従う事がいいと思ってる。
あ、そういう事なんだろうなって。
ほとんど直感だけで生きてきてるから
普通の人から見るとメチャクチャだと思うけど
俺にはそんなふうにしか出来んし
そんなふうにしかしたくないからな。
ある種人生は自動的に進んでいき
それを俯瞰してるような感覚があるよな。
もちろん、努力や成長は意識して行うのだけれど
それだけではダメな気がしてる。
自分らしくいることは
時に恐くなる時もあるけれど
嫌ではないんよな。
本当にこれでいいんだろうかという
単純に未来を心配する不安。
いわば、危機管理能力とでもいうのか。
起こってもいない事は出来るだけ心配せずにいたいね。
直感で行動する割に頭の中では最悪大丈夫なように、、なんて
常に考えてるから。
こういう感覚的な部分、自己流で積み上げてきてるけど
そらさんの話しには共感出来るところが
本当に多かったなと。
こういうの理解出来る人と出来ない人っておると思うんだけどさ、
なんていうんだろ、俺はスピリチュアルな事とかは
よくわからんけど事実、自分の人生を検証してみて
こういう感覚にたどり着いてきたわけなんだけど
徐々にそういうスピリチュアルな世界がないと
どうも説明が出来ない事ってたくさんあると思うんだよね。
タイミングとか色々ありえない出来事が大切な時期には
次々に起きていくんだよね。
しかも大概そういうのはこっちが動くからというよりも
向こうから話しがやってくるから説明がつかんのんよ。
そして自分の中での行動意欲。
素直にやりたい事をやろうとする時だけ出てくる指針。
自分らしく行くのか
世間的に正しいと思われるようにするのかで
行動は変わる。
ということは結果も変わる。
わくわくする方へ。
俺はいきたいかな。
2014年4月12日土曜日
深い海の中にいる。
時々精神状態が変な所に入ります。
もともと人と関わることが得意な方ではなく
極めて自己中心的な人間なので
急に苦しくなったり笑えなくなったり。
普段からうまく笑えてるわけでもないんだけどさ。笑
これはいつも理由がよくわからないけど
誰とも会いたくなくなるんだよね。
相手が大切とかそういうのも関係なくて
どれだけ大切な人でも会いたいと思えなかったり
大切だからこそ迷惑かけたくなくて会えなかったり
色々なわけだけど
何か無理があるから急にこんなふうになるんだろうな。
こんな日はじっと1人で出来る事をする。
今後に繋がる事、勉強、思想を極める事。。
未熟な自分を見つめ直す事に徹する。
傷つけてきた事、うまく出来なかった事、
人を馬鹿にした事、苦しかった事、
ダメだった事、
出来るだけ思い出し「ごめんなさい。」と思う。
普段マイナスな事を公言しない事を意識していて
それでも人間だから色々あって
人の、口には出さないけど思っているであろう感情を
想像するだけで恐ろしくなったりする事もあるし
自分の弱さや甘さに絶望する事もある。
誰かのせいとか誰かが悪いから。。っていうのは
そんな時でも思わない。
だって、全ては自分の思考、思想、行動から
生み出されたものだから。
相手の行動でさえ自分自身の言動や行動が
影響を与え創り出してる。
人を変えたいと思うなら
まず自分自身の思考パターンと行動を変えないといけない。
そもそも人を変えたいと思う事もないけどね。
でも、誰かの人生がうまくいくようになるならば
その為に行動出来たらいいなって思う。
たくさんの人の感情がノイズのように入り交じってる。
それを普段非言語で読み取ろうとアンテナを合わせてるから
そのしわ寄せが急に来るのかな。
誰もが在りのままいられればいいのに。
そのままで素晴らしい存在に。
何も努力せずに在りのままで素晴らしいという事を望むのは
驕りだと思ってる。
しかし、努力の方向を間違えると嫌われてしまうなんて事態に
なることもあるだろう。
成長を望み行動を起こしその先に人間的に成長して
やっと在りのままで素晴らしいと認められるようになる頃
きっと精神と共に体も年老いているだろう。
だから老人はなんだか可愛らしく見える。
きっと、邪気が少ないからだと思う。
たくさん色んな事があって
川を転がるような痛みと共に丸く丸くなっていったんだろう。
僕も出来るだけ早くそんなふうに丸く丸くなりたいと思うのだけれども
急に理由も無く襲われる悲しみや虚無感に
体を任せる事しか出来ない。
目に見えない理由を一日考える事もある。
きっと、何事にも原因というものはあり
過去にさかのぼって擬似的に消すしかない。
擬似的に消しても本当に消えるわけではないので
現実の世界で未来の為に検証し消していく。
そんな実験の日として今日のような日が割り当てられているのだろう。
音の無い部屋でカフェインが体に染み渡り
徐々に生活音が戻ってくる。
なんとも言えない感情が戻ってくる。
無意識のうちに人を馬鹿にしたこと
あたたかい毛布に包まれた日の事
小さな花が可愛かった事
色んな感情が一度に押し寄せ涙が出そうになる。
正解なんてないんだ。
自分で見つけていくしか。
時々ふと大海原のど真ん中に居る事に気付く。
とても晴れていて心地いいけれど
急に景色がモノクロになったりするんだよね。
全てが曖昧に思えてきて
何もかもが表面上の出来事のように思えてきて
本当の事を探す。
もしもさ、
自分に本当になんらかの力があるとしたら
常識とはかけ離れた所でしか使えないような気がしてんだ。
正直、常識とか世間体とかどうでもいいんだ。
社会性に欠けるなって自分自身よく思う。
必死で「普通」なフリをしてるけど
本当はそういうのいっぱいいっぱいなんだよね。
向いてないよ。
関わる為に「ちゃんと」するけどさ
自分の社会性のなさで人を傷つけたり
困らせたりしたいわけじゃない。
迷惑をかけたいわけでもない。
未熟者が「在りのまま」なんて言葉を使う事自体
おこがましいのかもしれないけれど
いつか、もっともっと人間的に成長してから
自分らしく生きる事が出来たらとてもいい。
もっと、もっと。
今でも周りの人のお陰で自由にさせてもらってる。
だから、もっともっと成長しよう。
さらに自由になる為に。
人と会話をするのと同じくらい
自分との対話が大切なのだと改めて思った。
心からの声は本来マイナスもプラスもない。
物事そのものにマイナスもプラスもないように。
結局マイナスかプラスかなんて
人間にとってどうかっていうだけなんだよね。
本来の自分を見失わないように
自分でいられる時間を大切にしよう。
もともと人と関わることが得意な方ではなく
極めて自己中心的な人間なので
急に苦しくなったり笑えなくなったり。
普段からうまく笑えてるわけでもないんだけどさ。笑
これはいつも理由がよくわからないけど
誰とも会いたくなくなるんだよね。
相手が大切とかそういうのも関係なくて
どれだけ大切な人でも会いたいと思えなかったり
大切だからこそ迷惑かけたくなくて会えなかったり
色々なわけだけど
何か無理があるから急にこんなふうになるんだろうな。
こんな日はじっと1人で出来る事をする。
今後に繋がる事、勉強、思想を極める事。。
未熟な自分を見つめ直す事に徹する。
傷つけてきた事、うまく出来なかった事、
人を馬鹿にした事、苦しかった事、
ダメだった事、
出来るだけ思い出し「ごめんなさい。」と思う。
普段マイナスな事を公言しない事を意識していて
それでも人間だから色々あって
人の、口には出さないけど思っているであろう感情を
想像するだけで恐ろしくなったりする事もあるし
自分の弱さや甘さに絶望する事もある。
誰かのせいとか誰かが悪いから。。っていうのは
そんな時でも思わない。
だって、全ては自分の思考、思想、行動から
生み出されたものだから。
相手の行動でさえ自分自身の言動や行動が
影響を与え創り出してる。
人を変えたいと思うなら
まず自分自身の思考パターンと行動を変えないといけない。
そもそも人を変えたいと思う事もないけどね。
でも、誰かの人生がうまくいくようになるならば
その為に行動出来たらいいなって思う。
たくさんの人の感情がノイズのように入り交じってる。
それを普段非言語で読み取ろうとアンテナを合わせてるから
そのしわ寄せが急に来るのかな。
誰もが在りのままいられればいいのに。
そのままで素晴らしい存在に。
何も努力せずに在りのままで素晴らしいという事を望むのは
驕りだと思ってる。
しかし、努力の方向を間違えると嫌われてしまうなんて事態に
なることもあるだろう。
成長を望み行動を起こしその先に人間的に成長して
やっと在りのままで素晴らしいと認められるようになる頃
きっと精神と共に体も年老いているだろう。
だから老人はなんだか可愛らしく見える。
きっと、邪気が少ないからだと思う。
たくさん色んな事があって
川を転がるような痛みと共に丸く丸くなっていったんだろう。
僕も出来るだけ早くそんなふうに丸く丸くなりたいと思うのだけれども
急に理由も無く襲われる悲しみや虚無感に
体を任せる事しか出来ない。
目に見えない理由を一日考える事もある。
きっと、何事にも原因というものはあり
過去にさかのぼって擬似的に消すしかない。
擬似的に消しても本当に消えるわけではないので
現実の世界で未来の為に検証し消していく。
そんな実験の日として今日のような日が割り当てられているのだろう。
音の無い部屋でカフェインが体に染み渡り
徐々に生活音が戻ってくる。
なんとも言えない感情が戻ってくる。
無意識のうちに人を馬鹿にしたこと
あたたかい毛布に包まれた日の事
小さな花が可愛かった事
色んな感情が一度に押し寄せ涙が出そうになる。
正解なんてないんだ。
自分で見つけていくしか。
時々ふと大海原のど真ん中に居る事に気付く。
とても晴れていて心地いいけれど
急に景色がモノクロになったりするんだよね。
全てが曖昧に思えてきて
何もかもが表面上の出来事のように思えてきて
本当の事を探す。
もしもさ、
自分に本当になんらかの力があるとしたら
常識とはかけ離れた所でしか使えないような気がしてんだ。
正直、常識とか世間体とかどうでもいいんだ。
社会性に欠けるなって自分自身よく思う。
必死で「普通」なフリをしてるけど
本当はそういうのいっぱいいっぱいなんだよね。
向いてないよ。
関わる為に「ちゃんと」するけどさ
自分の社会性のなさで人を傷つけたり
困らせたりしたいわけじゃない。
迷惑をかけたいわけでもない。
未熟者が「在りのまま」なんて言葉を使う事自体
おこがましいのかもしれないけれど
いつか、もっともっと人間的に成長してから
自分らしく生きる事が出来たらとてもいい。
もっと、もっと。
今でも周りの人のお陰で自由にさせてもらってる。
だから、もっともっと成長しよう。
さらに自由になる為に。
人と会話をするのと同じくらい
自分との対話が大切なのだと改めて思った。
心からの声は本来マイナスもプラスもない。
物事そのものにマイナスもプラスもないように。
結局マイナスかプラスかなんて
人間にとってどうかっていうだけなんだよね。
本来の自分を見失わないように
自分でいられる時間を大切にしよう。
2014年3月22日土曜日
ありがとうが足りない人。
なおきちは昔ありがとうが足りない人でした。
もしかしたら今でもそうなのかもしれません。。
それでも昔に比べると何十倍もありがとうと思う事が多くなり
心の底から感じる事が多くなりました。
しかし、表現をするのは本当に今でも下手だと思います。
なんだかわざとらしくなってしまうのが嫌で
リアルな感じにしようと思うとなかなか。。
表現が下手でも行動で返せばいいやとか思うけど
それさえ出来ているのかどうなのか。。
ありがとうと素直に言えない人の気持ちはわかるんです。
なんだか恥ずかしいような難しいような。
ありがとうとあまり感じる事の無い人がいるのも知っているのです。
だからこそ人に何かをするときは
ありがとうの言葉や気持ちさえ返してくれなくてもいいや。
って思って、自分がやりたいからやるのだと
自分自身思ってたんです。
人それぞれだから人に期待しすぎる事はないけど
この世の中ってもしかしたら
「ありがとう。」で成り立ってるんじゃないかと思ったんです。
人から強引にお金を受け取る事はしたくない。
お金を失いたくない。。と思いながら渡されるお金は
気持ちいいものではないですもんね。
ありがとう。と笑顔で渡されるお金っていうのは
こっちが申し訳なくなるくらいお互いが嬉しくて
気持ちがいいものですよね。
商品を買う時ありがとうと感じる事が出来る人って
素敵だと思うんです。
お金以上の価値を商品に感じてるっていうことだから。
なんかそういうのってかわいらしいし素敵だなって思います。
こんな高い値段で売りつけやがって。。
なんてお金を惜しく思いながら物を買う人より
個人的には、やはり感謝がある人の方がいいなって思うんです。
お金の主人になるのか
お金の奴隷になるのか。
感謝の気持ちというものがコントロールの鍵となる気がしました。
お金と感謝は直接は結びつきません。
感謝の気持ちをあらわすのにお金は必要ありません。
しかし、精神姿勢というものはなんとなく透けて見えるものです。
感謝の気持ちがある時積極的に協力したいと思ったり
何か力になれる事はないか。。と自主的に探したりするものです。
具体的に力になりたいと。
一方的にしてもらうだけで
何も出来ない自分が悔しい。。
なんて言葉を何度も聞きました。
感謝の気持ちが強い人って
自分がしてもらってばかりで相手に何も返せないという事を
真剣に悩んだりするみたいです。
そんな意識の高い人が周りにいてくれる事は
自分にとっての誇りですね。
口先だけではないというのが
やはり伝わってくるものなんですよね。
自分ももっともっと感謝 を感じれるレベルを高めていきたいなって
思いました。
お金、人脈、スキル等は
結局自分を誇示する為に持つ物ではなく
柔軟に感謝を具体的な形で返す為の
道具なのだと思っています。
たくさん感謝を返す為に
たくさんの魅力的な道具を揃え
必要な時に必要なだけ
貢献出来る自分になりたいと思いました。
もしかしたら今でもそうなのかもしれません。。
それでも昔に比べると何十倍もありがとうと思う事が多くなり
心の底から感じる事が多くなりました。
しかし、表現をするのは本当に今でも下手だと思います。
なんだかわざとらしくなってしまうのが嫌で
リアルな感じにしようと思うとなかなか。。
表現が下手でも行動で返せばいいやとか思うけど
それさえ出来ているのかどうなのか。。
ありがとうと素直に言えない人の気持ちはわかるんです。
なんだか恥ずかしいような難しいような。
ありがとうとあまり感じる事の無い人がいるのも知っているのです。
だからこそ人に何かをするときは
ありがとうの言葉や気持ちさえ返してくれなくてもいいや。
って思って、自分がやりたいからやるのだと
自分自身思ってたんです。
人それぞれだから人に期待しすぎる事はないけど
この世の中ってもしかしたら
「ありがとう。」で成り立ってるんじゃないかと思ったんです。
人から強引にお金を受け取る事はしたくない。
お金を失いたくない。。と思いながら渡されるお金は
気持ちいいものではないですもんね。
ありがとう。と笑顔で渡されるお金っていうのは
こっちが申し訳なくなるくらいお互いが嬉しくて
気持ちがいいものですよね。
商品を買う時ありがとうと感じる事が出来る人って
素敵だと思うんです。
お金以上の価値を商品に感じてるっていうことだから。
なんかそういうのってかわいらしいし素敵だなって思います。
こんな高い値段で売りつけやがって。。
なんてお金を惜しく思いながら物を買う人より
個人的には、やはり感謝がある人の方がいいなって思うんです。
お金の主人になるのか
お金の奴隷になるのか。
感謝の気持ちというものがコントロールの鍵となる気がしました。
お金と感謝は直接は結びつきません。
感謝の気持ちをあらわすのにお金は必要ありません。
しかし、精神姿勢というものはなんとなく透けて見えるものです。
感謝の気持ちがある時積極的に協力したいと思ったり
何か力になれる事はないか。。と自主的に探したりするものです。
具体的に力になりたいと。
一方的にしてもらうだけで
何も出来ない自分が悔しい。。
なんて言葉を何度も聞きました。
感謝の気持ちが強い人って
自分がしてもらってばかりで相手に何も返せないという事を
真剣に悩んだりするみたいです。
そんな意識の高い人が周りにいてくれる事は
自分にとっての誇りですね。
口先だけではないというのが
やはり伝わってくるものなんですよね。
自分ももっともっと感謝 を感じれるレベルを高めていきたいなって
思いました。
お金、人脈、スキル等は
結局自分を誇示する為に持つ物ではなく
柔軟に感謝を具体的な形で返す為の
道具なのだと思っています。
たくさん感謝を返す為に
たくさんの魅力的な道具を揃え
必要な時に必要なだけ
貢献出来る自分になりたいと思いました。
2014年3月19日水曜日
察する。
空気が読めるとはどういうことなのか。。
ふと考えます。
何故空気が読める人と読めない人が存在するのか。。
空気が読めるということは「察する」事が出来る人だと
思いました。
相手にいわせるまでもなく気付く力。
非言語コミュニケーションの集大成。
それが空気を読むという事だと思いました。
おそらく経験に起因している部分は大きいと思います。
こういう状況ではこうした方がいい。。等、
一概に決めるのではなくそこにいるメンバーや性格、
価値観等総合的に考えて自分で判断する事。
一対一の場合は相手との今までのやりとり、
相手の言動、行動、表情等から
価値観を推測し相手が望んでいるであろう行動をとること。
その際確実性の無い判断なら極力リスクを避け
相手に不快な思いをさせないということに専念する。
もっと言えば
目の前の相手と似た人物と過去に関わっていたならば
その人はどういう性格でどんな価値観だったか
思い出し参考にする。
人間の価値観は千差万別。
「必ず」ということはない。
相手の気分によることもあるしどんなときも
一概には言えない。
だから、タイムリーに察し続ける事で
的確な判断に近づく事が出来る。
女性がコミュニケーション能力に長けていると言われるのは
この空気を読む力に特化した人が多いからだと思ってる。
女性の集団の中では、はみ出し物はいじめの対象になったり
協調性のない人間は嫌われる傾向にある。
もちろん、そうじゃない集団も存在すると思うが
個人的にはそう思っている。
出る杭は打たれるし誰が群れのトップなのか
瞬時に判断し従う者には平安が約束される。
常に弱肉強食。
力関係は推移する。
現在誰が力を持っているのか
属する人間は注意を払う。
また、女性はうわさ話が大好きだ。
こっちではあっちの悪口を言い
あっちではこっちの悪口をいう人も少なくない。
そんな世界で生きたならコミュニケーション能力を
磨くしか無くなる。
表情を読み
相手が何をすれば喜んでくれるのか
事前に察知し行動する。
そうすることで自身の身分が保たれる。
それが出来なければ
無視やいじめの対象になったりする。
まあ、これは学生さんに顕著に出る状態なんだけど
大人になってもこういう場面とは度々遭遇する。
相手が女性とは限らない。
ネチネチした男性上司や陰湿な同僚と
関わらないといけない場面も出てくるかもしれない。
そんな時どれだけ相手が悪くても
相手が悪いから。。 と言い訳してるだけでは
生き残れない。
言い訳せず行動し結果を残してきた人間は
やはり空気が読める人が多い。
洞察力にすぐれ相手が喜ぶポイントを
知っていたりする。
非言語でのコミュニケーションが
発達してる女性は面白いし人気がある。
仕事でも必要なスキルとなってくるので
認められる可能性も高くなる。
空気を読む力というのは一朝一夕で
確立出来るものではない。
豊富な経験と気が遠くなる程の時間考え悩んだ結果
生まれる事が多いように思う。
最近コミュニケーション能力が低い人や
空気が読めない人が増えているように思う。
まあ、俺も人の事言えないんだけど。笑
誰もが気持ち良くすごせるようになるには
距離感を大切にしお互いが譲り合い空気を読み合うことによって
無駄な争いもなくなる。
時にはぶつかることも大切だとは思うけど
細々とした事でいちいち不快にさせたりさせられたりするのは
誰も望んでいない事。
これからも「空気を読む」という事について考え
自分自身も気をつけ
見つけた気付きは共有しようと思う。
ふと考えます。
何故空気が読める人と読めない人が存在するのか。。
空気が読めるということは「察する」事が出来る人だと
思いました。
相手にいわせるまでもなく気付く力。
非言語コミュニケーションの集大成。
それが空気を読むという事だと思いました。
おそらく経験に起因している部分は大きいと思います。
こういう状況ではこうした方がいい。。等、
一概に決めるのではなくそこにいるメンバーや性格、
価値観等総合的に考えて自分で判断する事。
一対一の場合は相手との今までのやりとり、
相手の言動、行動、表情等から
価値観を推測し相手が望んでいるであろう行動をとること。
その際確実性の無い判断なら極力リスクを避け
相手に不快な思いをさせないということに専念する。
もっと言えば
目の前の相手と似た人物と過去に関わっていたならば
その人はどういう性格でどんな価値観だったか
思い出し参考にする。
人間の価値観は千差万別。
「必ず」ということはない。
相手の気分によることもあるしどんなときも
一概には言えない。
だから、タイムリーに察し続ける事で
的確な判断に近づく事が出来る。
女性がコミュニケーション能力に長けていると言われるのは
この空気を読む力に特化した人が多いからだと思ってる。
女性の集団の中では、はみ出し物はいじめの対象になったり
協調性のない人間は嫌われる傾向にある。
もちろん、そうじゃない集団も存在すると思うが
個人的にはそう思っている。
出る杭は打たれるし誰が群れのトップなのか
瞬時に判断し従う者には平安が約束される。
常に弱肉強食。
力関係は推移する。
現在誰が力を持っているのか
属する人間は注意を払う。
また、女性はうわさ話が大好きだ。
こっちではあっちの悪口を言い
あっちではこっちの悪口をいう人も少なくない。
そんな世界で生きたならコミュニケーション能力を
磨くしか無くなる。
表情を読み
相手が何をすれば喜んでくれるのか
事前に察知し行動する。
そうすることで自身の身分が保たれる。
それが出来なければ
無視やいじめの対象になったりする。
まあ、これは学生さんに顕著に出る状態なんだけど
大人になってもこういう場面とは度々遭遇する。
相手が女性とは限らない。
ネチネチした男性上司や陰湿な同僚と
関わらないといけない場面も出てくるかもしれない。
そんな時どれだけ相手が悪くても
相手が悪いから。。 と言い訳してるだけでは
生き残れない。
言い訳せず行動し結果を残してきた人間は
やはり空気が読める人が多い。
洞察力にすぐれ相手が喜ぶポイントを
知っていたりする。
非言語でのコミュニケーションが
発達してる女性は面白いし人気がある。
仕事でも必要なスキルとなってくるので
認められる可能性も高くなる。
空気を読む力というのは一朝一夕で
確立出来るものではない。
豊富な経験と気が遠くなる程の時間考え悩んだ結果
生まれる事が多いように思う。
最近コミュニケーション能力が低い人や
空気が読めない人が増えているように思う。
まあ、俺も人の事言えないんだけど。笑
誰もが気持ち良くすごせるようになるには
距離感を大切にしお互いが譲り合い空気を読み合うことによって
無駄な争いもなくなる。
時にはぶつかることも大切だとは思うけど
細々とした事でいちいち不快にさせたりさせられたりするのは
誰も望んでいない事。
これからも「空気を読む」という事について考え
自分自身も気をつけ
見つけた気付きは共有しようと思う。
同じ速度で全速力で。
チーム、組織の事を考える時
いつも音楽のバンドをイメージする。
バンドってさ
誰か一人でも下手なやつがいたら
そのバンド自体のクォリティも
一番下手な人のところに
設定されてしまうんだよね。
だから誰とどんな音楽をやるかって
大切だと思ってる。
上手な人が揃ったバンドに所属出来ても
自分が一番下手だったら
そのバンドはそこまでのバンドなわけだ。
すごいバンドを見てるとさ
各自が全速力で走ってるように
俺には見える。
全力でなりふり構わず走ってるんだけど
同じメンバーと全く同じ速度なんだよね。
だからこそカッコいいんだ。
本当はここまで出来るけど
それやっちゃうと他のやつがついてこれない。。
なんて考えながらやってたら
そりゃ最高の力なんか出せないよな。
スキルが高いだけがバンドではないとは思ってる。
しかし、なんらかの個性は必要だし
個性的なメンバーをバックグラウンドで支える為にも
スキルは必要なんだよな。
全速力で疾走するようなバンドを見たいし
そんな組織を夢見ている。
いつも音楽のバンドをイメージする。
バンドってさ
誰か一人でも下手なやつがいたら
そのバンド自体のクォリティも
一番下手な人のところに
設定されてしまうんだよね。
だから誰とどんな音楽をやるかって
大切だと思ってる。
上手な人が揃ったバンドに所属出来ても
自分が一番下手だったら
そのバンドはそこまでのバンドなわけだ。
すごいバンドを見てるとさ
各自が全速力で走ってるように
俺には見える。
全力でなりふり構わず走ってるんだけど
同じメンバーと全く同じ速度なんだよね。
だからこそカッコいいんだ。
本当はここまで出来るけど
それやっちゃうと他のやつがついてこれない。。
なんて考えながらやってたら
そりゃ最高の力なんか出せないよな。
スキルが高いだけがバンドではないとは思ってる。
しかし、なんらかの個性は必要だし
個性的なメンバーをバックグラウンドで支える為にも
スキルは必要なんだよな。
全速力で疾走するようなバンドを見たいし
そんな組織を夢見ている。
2014年3月17日月曜日
偏る勇気。
思えば平均的に馬鹿にされないように
失敗しないように能力を伸ばしてきた気がする。
好きな事は時間を感じないくらい集中するから
ほっといても上達したんだ。
最低ラインを伸ばす努力というのは
とても単調だ。
人を傷つけてしまわないため、
自分の身を守るため
内面からちゃんとしようと思って
成長を続けてきた。
その結果、昔の自分とは
比べ物にならないくらい成長は
出来たと思う。
それはそれでいい事だとは思ってる。
しかし、同時に平均的な人間になったなぁ。。
という自覚もある。
思考をフラットにしてんだから
当然ではあるんだけどね。
ん〜。。もちろんね、それはそれでいいんよ。
自分が望んだ事だから。
でも最近どこか物足りなさを感じてるのも事実。
な〜んか、中途半端だなってさ。
内面の話しでいうと
もっともっと崇高な人って世の中にたくさんいると思うんだよね。
俺が逆立ちしたってたどり着けないような人。
どの世界にもいるじゃん。
神?天才?って人。
そういう人と勝負したいなら
毎日、一生の時間を使っていくしかない。
そもそも本当に好きなものじゃないと
そんなに時間を使う事すら難しい。
もうちょっと肩の力を抜いてみようかな。
何をやっても批判と賛同はあると思うんだよね。
もともと偏った人間だったから
それがコンプレックスで
なんか自分ちんちくりんだなって思って
直そう、改善しよう、努力しよう。。で
結果平均に近づいた。
ほら、お仕事とかでもさ
平均的になんでもこなせる人と、
ダメなとこもたくさんあるけど
この分野だけは安心して任せる事が出来るっていう人
どっちが重要?って聞かれたら後者だと思うんだよね。
平均的になんでもこなせる人も大切だと思うけど
そういう人だけでは平均的な結果しかだせないんだよな。
中にメチャクチャ偏ってるけど
こいつがいるからまわるんだよな。。っていうやつがいるから
組織全体の平均点はあがるんだと思う。
とくにリーダーや代表っていうのは
偏ってなければならないのかもしれないと
ちょっと最近思ってきた。
逆だと思ってた。
誰にでもフラットに接することが大切なんだと思ってたけど
ほら、社長とか代表とかリーダーって呼ばれる人って
個性的でちょっと変な人多いじゃん?笑
我が強い人も多いし。
だからこそ成立するし、
そうじゃないと難しいんだと思った。
尖ってれば尖ってる程いい。
偏ってれば偏ってる程いい。
その何をも恐れない鋭い感覚に
人々はついていくのかもしれないと思った。
文字通り刺さらなければ人は動かない。
一つに特化する。
なんでも出来ますよっていうのは
大した魅力ではない。
いくつ出来るかが大切なのではなく
どのレベルで出来るかが大切なんだ。
高いクォリティで出来る事が一つあれば
どれだけ偏った人間でも害がなければ
問題ないのかもしれない。
需要のある自分が出来る事を
伸ばしていく事が大切かな。
あとはやっぱキャラも大切なんよな。
キャラってはっきり個性が出てることだと思うんだよね。
個性って好き嫌いを明確化して
わかりやすい事が大切だと思ったんだよね。
嫌いな物を批判するという意味ではなく。
無駄な批判は絶対よくない。
自分が関わらないでいいものを明確にするという事が
大切なんよな。
嫌いな物をどうこうする為ではなく
好きな物に特化する為に明確化したほうがいいと感じた。
天才と同等の力を発揮するには
個人では難しくともチームで戦えば
いけることもあると思ってる。
チームを組織するには
まずは代表がどんな基準でどんな思考なのかが
とても大切。
それによって集まる人間、
残る人間が違ってくるのだから。
チーム自体が目的に特化する必要があるのだから
リーダーはその目的に誰より特化していれば
少々偏っていてもいいんじゃないかと感じた。
それを理由に努力を怠ろうとしているわけではなく
力の入れ方、配分を間違わないようにしないといけないと
感じたので残しておこう。
失敗しないように能力を伸ばしてきた気がする。
好きな事は時間を感じないくらい集中するから
ほっといても上達したんだ。
最低ラインを伸ばす努力というのは
とても単調だ。
人を傷つけてしまわないため、
自分の身を守るため
内面からちゃんとしようと思って
成長を続けてきた。
その結果、昔の自分とは
比べ物にならないくらい成長は
出来たと思う。
それはそれでいい事だとは思ってる。
しかし、同時に平均的な人間になったなぁ。。
という自覚もある。
思考をフラットにしてんだから
当然ではあるんだけどね。
ん〜。。もちろんね、それはそれでいいんよ。
自分が望んだ事だから。
でも最近どこか物足りなさを感じてるのも事実。
な〜んか、中途半端だなってさ。
内面の話しでいうと
もっともっと崇高な人って世の中にたくさんいると思うんだよね。
俺が逆立ちしたってたどり着けないような人。
どの世界にもいるじゃん。
神?天才?って人。
そういう人と勝負したいなら
毎日、一生の時間を使っていくしかない。
そもそも本当に好きなものじゃないと
そんなに時間を使う事すら難しい。
もうちょっと肩の力を抜いてみようかな。
何をやっても批判と賛同はあると思うんだよね。
もともと偏った人間だったから
それがコンプレックスで
なんか自分ちんちくりんだなって思って
直そう、改善しよう、努力しよう。。で
結果平均に近づいた。
ほら、お仕事とかでもさ
平均的になんでもこなせる人と、
ダメなとこもたくさんあるけど
この分野だけは安心して任せる事が出来るっていう人
どっちが重要?って聞かれたら後者だと思うんだよね。
平均的になんでもこなせる人も大切だと思うけど
そういう人だけでは平均的な結果しかだせないんだよな。
中にメチャクチャ偏ってるけど
こいつがいるからまわるんだよな。。っていうやつがいるから
組織全体の平均点はあがるんだと思う。
とくにリーダーや代表っていうのは
偏ってなければならないのかもしれないと
ちょっと最近思ってきた。
逆だと思ってた。
誰にでもフラットに接することが大切なんだと思ってたけど
ほら、社長とか代表とかリーダーって呼ばれる人って
個性的でちょっと変な人多いじゃん?笑
我が強い人も多いし。
だからこそ成立するし、
そうじゃないと難しいんだと思った。
尖ってれば尖ってる程いい。
偏ってれば偏ってる程いい。
その何をも恐れない鋭い感覚に
人々はついていくのかもしれないと思った。
文字通り刺さらなければ人は動かない。
一つに特化する。
なんでも出来ますよっていうのは
大した魅力ではない。
いくつ出来るかが大切なのではなく
どのレベルで出来るかが大切なんだ。
高いクォリティで出来る事が一つあれば
どれだけ偏った人間でも害がなければ
問題ないのかもしれない。
需要のある自分が出来る事を
伸ばしていく事が大切かな。
あとはやっぱキャラも大切なんよな。
キャラってはっきり個性が出てることだと思うんだよね。
個性って好き嫌いを明確化して
わかりやすい事が大切だと思ったんだよね。
嫌いな物を批判するという意味ではなく。
無駄な批判は絶対よくない。
自分が関わらないでいいものを明確にするという事が
大切なんよな。
嫌いな物をどうこうする為ではなく
好きな物に特化する為に明確化したほうがいいと感じた。
天才と同等の力を発揮するには
個人では難しくともチームで戦えば
いけることもあると思ってる。
チームを組織するには
まずは代表がどんな基準でどんな思考なのかが
とても大切。
それによって集まる人間、
残る人間が違ってくるのだから。
チーム自体が目的に特化する必要があるのだから
リーダーはその目的に誰より特化していれば
少々偏っていてもいいんじゃないかと感じた。
それを理由に努力を怠ろうとしているわけではなく
力の入れ方、配分を間違わないようにしないといけないと
感じたので残しておこう。
2014年3月15日土曜日
エーテルを探しに。
光を伝えるため
この世界を隙間なく
埋め尽くされていると信じられていた
エーテルという存在。
こういう過去の価値観みたいなものはとても好きだ。
今では廃れてしまっているが
当時の人達は本気でそうなのだと信じていた。
なんだかそんな時代がひどく愛しくなる。
僕はひねくれものなので
世界が捨てた価値観を愛する事もある。
概念が好きだからだ。
その中でもエーテルというものが好きだ。
この世界に光を伝え届ける為に
必要と思われていたもの。
隙間なくエーテルで満たされている世界。
何もないと思っていたすぐそこの景色は
本当は満たされていたのだと
初めて知った人々は
どんな気持ちになっただろう。
その瞬間の事を時々考える。
僕が知り得るはずもない瞬間の事を。
なんだかとても愛しく感じる。
子供は窓の外を眺め
大人は仕事の合間に町並みを眺めている。
そんな架空の世界を思い描いては
わくわくする。
実際には子供がそんな概念に興味を持つ事は
稀だろうし大人もそれどころではないとは思う。
けど、そんなことはどうでもよくて
自分の中のパラレルワールドは
いつもそんな感性を持った人達が
登場するのだ。
現実の世界は時に厳しく難しい。
しかし、それが楽しくもある。
何故なら全ては自分の力で変化させる事が
出来るからだ。
勝手に想像する世界とはまた違った楽しさがある。
僕が写真を撮るのは
ファインダーの向こう側に時々
イメージする世界を見る事が出来るからだ。
肉眼では到底見る事の出来ない世界。
コントラストもデタラメで
光だって丸くなったりするんだよ?
すごいすごい。
向こう側の世界を覗くのに
高いカメラは必要ない。
しかし、どんな世界を覗きたいかによって
カメラやレンズは違ってくるな。
僕が勝手に持つイメージの世界と同様に
現在は写真も我が侭に加工してしまう事が
出来るよね。
何が正しくて何が間違ってるなんてないんだ。
好きにやればいい。
いつか、ファインダーの向こうに
エーテルを捕まえたい。
満たしてる物だから
捕まえるって少し違うのかもしれないけれど
そんなふうに思う。
どこにもない世界は
案外いつも目の前にあるのかもしれない。
この世界を満たすエーテルのように。
この世界を隙間なく
埋め尽くされていると信じられていた
エーテルという存在。
こういう過去の価値観みたいなものはとても好きだ。
今では廃れてしまっているが
当時の人達は本気でそうなのだと信じていた。
なんだかそんな時代がひどく愛しくなる。
僕はひねくれものなので
世界が捨てた価値観を愛する事もある。
概念が好きだからだ。
その中でもエーテルというものが好きだ。
この世界に光を伝え届ける為に
必要と思われていたもの。
隙間なくエーテルで満たされている世界。
何もないと思っていたすぐそこの景色は
本当は満たされていたのだと
初めて知った人々は
どんな気持ちになっただろう。
その瞬間の事を時々考える。
僕が知り得るはずもない瞬間の事を。
なんだかとても愛しく感じる。
子供は窓の外を眺め
大人は仕事の合間に町並みを眺めている。
そんな架空の世界を思い描いては
わくわくする。
実際には子供がそんな概念に興味を持つ事は
稀だろうし大人もそれどころではないとは思う。
けど、そんなことはどうでもよくて
自分の中のパラレルワールドは
いつもそんな感性を持った人達が
登場するのだ。
現実の世界は時に厳しく難しい。
しかし、それが楽しくもある。
何故なら全ては自分の力で変化させる事が
出来るからだ。
勝手に想像する世界とはまた違った楽しさがある。
僕が写真を撮るのは
ファインダーの向こう側に時々
イメージする世界を見る事が出来るからだ。
肉眼では到底見る事の出来ない世界。
コントラストもデタラメで
光だって丸くなったりするんだよ?
すごいすごい。
向こう側の世界を覗くのに
高いカメラは必要ない。
しかし、どんな世界を覗きたいかによって
カメラやレンズは違ってくるな。
僕が勝手に持つイメージの世界と同様に
現在は写真も我が侭に加工してしまう事が
出来るよね。
何が正しくて何が間違ってるなんてないんだ。
好きにやればいい。
いつか、ファインダーの向こうに
エーテルを捕まえたい。
満たしてる物だから
捕まえるって少し違うのかもしれないけれど
そんなふうに思う。
どこにもない世界は
案外いつも目の前にあるのかもしれない。
この世界を満たすエーテルのように。
2014年3月2日日曜日
続・我が道を行く。
ここ数日間映像を編集し続けて我が道を行くということを
少し思い出した。
昔の映像の自分の喋り方とか
立ち振る舞いとかマジでイライラするんだけど!笑
でも大切なのはそれでも人が
集まってくれていたということなんだよね。
全ての人を大切にしたいといつの頃からか
考えるようになってた。
けど実際はさ、
こっちを立てればあちらが立たず。。ということになるわけ。
全員と仲良くする事ってまず無理なんだなというのが
ここ数年の答え。
だったら結局好きな人達とワイワイするしかないでしょ!◎
合わない人も合う人も
極力同じように接してきたつもり。
それがいいことだと思っていたから。
でもな、それ多分違うな、こりゃ。
俺が相手を尊重しているのは
俺の心の中での話しだし
それが相手に伝わっているとは限らない。
どれだけ相手を大切にしても
俺に失望する人もおるじゃろうしね。
相手が俺に過剰な期待をしてしまうのも
結局は俺がフラットに接してるから
なのかもしれない。
本当は俺はすごく自己中心的な人間なわけなんだけど
表面上だけではなく根本から変わり
人間的に尊敬されるような人になろうと思い
行動してきたんよね。
たくさん本を読んだり
実際にたくさんの人と会いコミュニケーションをとってきた。
ここ数年、どんどん考え方はフラットに
なっていったように思う。
でもちょっと待てよと。
フラットに考えるってことは
結局平べったく考えるということなのか?
平均的に人を見て
平均的に人と接する事なのか?
もともと差別はしない方。
偏見は少なからずあるだろう。
でも、理由も無くっていうのはない。
自分が気に入ってる人と
そうじゃない人で態度が違うのは
当然の事だし
会う頻度が違うのも当然なことだろう。
親友と知人で会いたいと思う頻度が同じな人は
そういないはず。
しかし、ここ数年
一部の人間と個人的に遊ぶということは
楽遊会の他のメンバーから
「なんで誘ってくれんの?」
って言われそうで控えてた部分もある。
でもそんなことしてたら
俺は一生友達なんて出来ないよね。笑
なんかね〜、
無意識のうちに自分を閉じ込めて
自分が不幸になってもいいから
周りを輝かせたいと
思っていたように思う。
何回も書いた事あると思うけど
結局楽遊会って
俺が人から理解されなくとも
好きな事をやる場所だったんだよね、
はじめは。
それなのにたくさん人が集まってくれだしたら
離れていってほしくないからって
媚び売ってたような気がする。
楽遊会の最初のほうなんてメチャクチャだった。
それでも個性的な人達が支えてくれてた。
俺が当たり障りのないような事を
言い出せばそりゃあ、離れていっても
しょうがないと思うし、
俺も俺でこうだと思ったら
誰のいうことも聞かない。
結局なにしてんだよって思う時もある。
俺が目立ってなんぼだろうが!って。笑
人に中心譲ってんじゃね〜よって。
なんかすごくバカバカしく思えてね。
今、このタイミングで
過去の映像を編集したりしてるのも
きっとこういう気付きをこのタイミングで
知るためだったんだ。
そして過去のメンバー、雰囲気を見てやはり思った。
俺は欠陥があろうが批判されようが
俺でなければならないのだと。
少なくとも楽遊会の中ではね。笑
もともと刺激の強い事が好きだから
今の時代でやりたいことやると
危ないかもしれんけど。笑
でも、突き抜ければきっと
笑ってくれる人も出てくるかな。
中途半端が一番いけんわ。
ちょっと、フラットな自分を
もう一度封印してみようか。。なんて思ってる。
そんなこと出来るのかどうなのかわかんないけど
そうしてみたいなって。
個人的な価値観で善し悪し
好き嫌いを選んだらどうなるんだろうって。
心の奥底にフラットな考えは
染み付いてる。
さっきも書いたけどもともと偏見とか
差別ってのはないほうなんよ。
ホームレスも同性愛も障害者もオッケー!
ただ、そのぶん人間性は見るよ!
全ては内面よ。
関わるかどうかはね。
外見が美しい人は大好き!
でも内面が腐ってたら消えろよって思う。
一緒におって不快になるわな。
表面だけ取り繕ってるのが
バレバレな人も笑えない。
楽遊会はもともと独裁国家なんだよね。笑
だから成立してた部分が大きい。
俺がいいって言ってんだからいいんだよ!
で、やってた。
だから常識とかが入る余地がなくて
よかったんだよ。
常識とかけ離れた判断をするとね、
それはすぐ批判に繋がる。
そのことも知ってる。
だからいつからか守りに入ってたんかな。
常識的な組織なんてそこらじゅうに
いくらでもあるわ。
俺がやらんでもええよな、そんなこと。
ロケット花火で服を焦がすくらい
体はってるメンバーに
下ネタを絡ませながら大笑いする
最低で最高なのが楽遊会だったよな。笑
大人になりきれない大人が
夜な夜な集まって
どうしょうもない話しを一晩中する
そういうのが楽遊会だった。
ちょっと健全すぎるかもしれんね、最近は。
もともと俺自体社会不適合者みたいな人間なんだからさ
愛想笑いじゃ何も生み出せないんだよ。
誰の居場所も生み出せない。
自分のさえね。
俺は俺らしくあることが仕事だと考えよう。
自分の行動を制限するのが自分の組織だとしたら
それはただの不幸だ。
なんのためにやってんだよ。
腹から笑えるようなことするためだろ?
仲良しごっこするためじゃないだろ。
崇高な目的もいいけど
目の前のメンバーと楽しめなくて
何が社会貢献だよ!
ってね。笑
じぶんじしんにそう思うわ。笑
自己中心的にいこう!!笑
なかなか見ない宣言だよね。笑
何事も長所であり短所であるなら
振り切るまでやる!
そしたら何か見えてくるんじゃないかな。
平均的な事やってれば批判もないだろ。
でもさ、そんなことに意味なんてないんだよ。
ただいたずらに時間を浪費してさ。
無難な人を集めてなんになるっていうんだよ。
風俗嬢歓迎!
キャバ嬢歓迎!
同性愛者歓迎!
めんどくさい男お断り!
ネチネチしてる人お断り!
恩知らずお断り!
でええじゃん。笑
リスカしてようがどうしようが
そんなことは関係ない。
面白い人間ならそれでよし!だろ。
俺がええって言ってんだからいいんだよ◎
それでついてこれない人はついてこれなくていいです!と。
組織ってそういうもんだよね。
ちょっと極端ではあるけど
方針や理念に疑問を持ったり
ついていけないと思ったなら
組織を批判するのではなく
自分が去ればいいだけのこと。
ちょっと幅広く受け入れすぎたのかもしれない。
俺と価値観が合わない人を大量にいれても
俺についてきてくれるメンバーが
不快になるだけなんだよな。
様々な価値観が入り乱れると
マイナスな価値観が残っていく。
誰か一人でも大嫌いなメンバーがいれば
組織から大切なメンバーが去っていくということも
よくわかった。
だからこそ無駄にメンバーが多いのって
リスクも高くなるってことなんだよな。
組織の方針の段階で
ある程度ふるいにかけておかないと
大変なことになる。
あと、恋愛するのは自由だけど
男のせいで女性メンバーが
いなくなるのは防ぎたい。
積極的に女性メンバーの位置づけは
守っていかんとね〜。
俺が必要だと思えば女性を優先にすることも
出てくるだろうね。
当然だけど。
今年から方針を変えよう変えようと
思ってたけどなかなか動き出せなかった。
けど、それは色んなバランスを考えてのことだった。
以前、楽遊会は第二世代から第三世代に
変わります!みたいなことを言って
常連さんに「おい!」っていわれたことがあった!笑
でもそれくらい自分の中で
ガラッと勢いつけないと
出来ない事も正直あるんだよね。
俺が保守的ってどうなん。
絶対ありえんだろ!笑
常に革新的でないと楽遊会無理だわ。
かなり偏ってもいいからやろう。
映像って偉大だな。
写真ではその頃の会話とかは
残らない。
雰囲気だけ残すからいいという考えもあるだろうけど
俺は違うな。
音声も会話の内容も残ってるほうがいい!
しかし、編集はしないとダメだね。笑
面白くないとこはカットしないと!笑
また、それが出来るから映像はいいね◎
まさに思い出は美しく!!◎
楽しく美しく残るなら最高じゃん♪
数年後に編集した物を
みんなで見たり出来たらええよな。
オフ会の映像だけで30個くらいは
残ってた!
これは財産だな。
その他プライベートでメンバーと
遊びに行ったり
弾き語りメインの頃の仲間とかも
残ってたり。
その時の声、会話、雰囲気
そのまま残ってる。
もう二度と同じようには戻れない
前の家の映像とかもな、あるんよな。
2004年の映像があるということは
10年前から俺はずっと映像の可能性を
大切にしてきた。
手元に見つからないからあれだけど
2004年より前にも
ビデオカメラ使ってた記憶があるから
実際にはもうちょっと前からか。
意識してなければ10年前の映像なんて絶対残ってない。
逆にこれから10年経ったときに
現在の映像が残るかどうかは今の自分にかかってるんよね。
うん、間違ってなかった。
これからも我が道をいこう。
結局正しかったかそうじゃなかったかなんて
やってみないとわかんないんだから。笑
だとしたら保守的になって
縮こまってるより
100回失敗して
1回大成功したらええよな◎
世界にはもう数えきれないくらい人間がおる。
思っただけの人間を集められないなら
それは確実に自分が至らないせいだ。
街に出ればいくらでも人はいるわけだし
その人達の財布の中にはお金もある。
だからビジネスがうまくいかないっていうのも
ただの言い訳にしかならないんだよね。笑
人の心が動くか動かないか。
動かせるか動かせないか。
そこだよね。
全力でやっても動かせるかわかんないのに
自分という人間の持てる力を総動員させないと
無理だろ。
だとしたら、長所とか短所とか
なりふり構ってる場合じゃない。
圧倒的な長所(メリット)を
ニッチな価値観のもちぬしにでも
感じてもらえればそれは強いわな。
常識にとらわれてる人とか
細かい事を気にする人は俺は無理だから
そういう人に関わらずにいこう。
それが相手の為でもある。
どうしても関わらなければならない場合は
こちらが譲ろう。
相手を不快にさせたくはないし
自分が正しいなんて思ってはいないから。
人間なんて
何が正しくて正しくないなんて
本来ないよ。
だからこそ再び、引き続き、
我が道をいこうと思う。
少し思い出した。
昔の映像の自分の喋り方とか
立ち振る舞いとかマジでイライラするんだけど!笑
でも大切なのはそれでも人が
集まってくれていたということなんだよね。
全ての人を大切にしたいといつの頃からか
考えるようになってた。
けど実際はさ、
こっちを立てればあちらが立たず。。ということになるわけ。
全員と仲良くする事ってまず無理なんだなというのが
ここ数年の答え。
だったら結局好きな人達とワイワイするしかないでしょ!◎
合わない人も合う人も
極力同じように接してきたつもり。
それがいいことだと思っていたから。
でもな、それ多分違うな、こりゃ。
俺が相手を尊重しているのは
俺の心の中での話しだし
それが相手に伝わっているとは限らない。
どれだけ相手を大切にしても
俺に失望する人もおるじゃろうしね。
相手が俺に過剰な期待をしてしまうのも
結局は俺がフラットに接してるから
なのかもしれない。
本当は俺はすごく自己中心的な人間なわけなんだけど
表面上だけではなく根本から変わり
人間的に尊敬されるような人になろうと思い
行動してきたんよね。
たくさん本を読んだり
実際にたくさんの人と会いコミュニケーションをとってきた。
ここ数年、どんどん考え方はフラットに
なっていったように思う。
でもちょっと待てよと。
フラットに考えるってことは
結局平べったく考えるということなのか?
平均的に人を見て
平均的に人と接する事なのか?
もともと差別はしない方。
偏見は少なからずあるだろう。
でも、理由も無くっていうのはない。
自分が気に入ってる人と
そうじゃない人で態度が違うのは
当然の事だし
会う頻度が違うのも当然なことだろう。
親友と知人で会いたいと思う頻度が同じな人は
そういないはず。
しかし、ここ数年
一部の人間と個人的に遊ぶということは
楽遊会の他のメンバーから
「なんで誘ってくれんの?」
って言われそうで控えてた部分もある。
でもそんなことしてたら
俺は一生友達なんて出来ないよね。笑
なんかね〜、
無意識のうちに自分を閉じ込めて
自分が不幸になってもいいから
周りを輝かせたいと
思っていたように思う。
何回も書いた事あると思うけど
結局楽遊会って
俺が人から理解されなくとも
好きな事をやる場所だったんだよね、
はじめは。
それなのにたくさん人が集まってくれだしたら
離れていってほしくないからって
媚び売ってたような気がする。
楽遊会の最初のほうなんてメチャクチャだった。
それでも個性的な人達が支えてくれてた。
俺が当たり障りのないような事を
言い出せばそりゃあ、離れていっても
しょうがないと思うし、
俺も俺でこうだと思ったら
誰のいうことも聞かない。
結局なにしてんだよって思う時もある。
俺が目立ってなんぼだろうが!って。笑
人に中心譲ってんじゃね〜よって。
なんかすごくバカバカしく思えてね。
今、このタイミングで
過去の映像を編集したりしてるのも
きっとこういう気付きをこのタイミングで
知るためだったんだ。
そして過去のメンバー、雰囲気を見てやはり思った。
俺は欠陥があろうが批判されようが
俺でなければならないのだと。
少なくとも楽遊会の中ではね。笑
もともと刺激の強い事が好きだから
今の時代でやりたいことやると
危ないかもしれんけど。笑
でも、突き抜ければきっと
笑ってくれる人も出てくるかな。
中途半端が一番いけんわ。
ちょっと、フラットな自分を
もう一度封印してみようか。。なんて思ってる。
そんなこと出来るのかどうなのかわかんないけど
そうしてみたいなって。
個人的な価値観で善し悪し
好き嫌いを選んだらどうなるんだろうって。
心の奥底にフラットな考えは
染み付いてる。
さっきも書いたけどもともと偏見とか
差別ってのはないほうなんよ。
ホームレスも同性愛も障害者もオッケー!
ただ、そのぶん人間性は見るよ!
全ては内面よ。
関わるかどうかはね。
外見が美しい人は大好き!
でも内面が腐ってたら消えろよって思う。
一緒におって不快になるわな。
表面だけ取り繕ってるのが
バレバレな人も笑えない。
楽遊会はもともと独裁国家なんだよね。笑
だから成立してた部分が大きい。
俺がいいって言ってんだからいいんだよ!
で、やってた。
だから常識とかが入る余地がなくて
よかったんだよ。
常識とかけ離れた判断をするとね、
それはすぐ批判に繋がる。
そのことも知ってる。
だからいつからか守りに入ってたんかな。
常識的な組織なんてそこらじゅうに
いくらでもあるわ。
俺がやらんでもええよな、そんなこと。
ロケット花火で服を焦がすくらい
体はってるメンバーに
下ネタを絡ませながら大笑いする
最低で最高なのが楽遊会だったよな。笑
大人になりきれない大人が
夜な夜な集まって
どうしょうもない話しを一晩中する
そういうのが楽遊会だった。
ちょっと健全すぎるかもしれんね、最近は。
もともと俺自体社会不適合者みたいな人間なんだからさ
愛想笑いじゃ何も生み出せないんだよ。
誰の居場所も生み出せない。
自分のさえね。
俺は俺らしくあることが仕事だと考えよう。
自分の行動を制限するのが自分の組織だとしたら
それはただの不幸だ。
なんのためにやってんだよ。
腹から笑えるようなことするためだろ?
仲良しごっこするためじゃないだろ。
崇高な目的もいいけど
目の前のメンバーと楽しめなくて
何が社会貢献だよ!
ってね。笑
じぶんじしんにそう思うわ。笑
自己中心的にいこう!!笑
なかなか見ない宣言だよね。笑
何事も長所であり短所であるなら
振り切るまでやる!
そしたら何か見えてくるんじゃないかな。
平均的な事やってれば批判もないだろ。
でもさ、そんなことに意味なんてないんだよ。
ただいたずらに時間を浪費してさ。
無難な人を集めてなんになるっていうんだよ。
風俗嬢歓迎!
キャバ嬢歓迎!
同性愛者歓迎!
めんどくさい男お断り!
ネチネチしてる人お断り!
恩知らずお断り!
でええじゃん。笑
リスカしてようがどうしようが
そんなことは関係ない。
面白い人間ならそれでよし!だろ。
俺がええって言ってんだからいいんだよ◎
それでついてこれない人はついてこれなくていいです!と。
組織ってそういうもんだよね。
ちょっと極端ではあるけど
方針や理念に疑問を持ったり
ついていけないと思ったなら
組織を批判するのではなく
自分が去ればいいだけのこと。
ちょっと幅広く受け入れすぎたのかもしれない。
俺と価値観が合わない人を大量にいれても
俺についてきてくれるメンバーが
不快になるだけなんだよな。
様々な価値観が入り乱れると
マイナスな価値観が残っていく。
誰か一人でも大嫌いなメンバーがいれば
組織から大切なメンバーが去っていくということも
よくわかった。
だからこそ無駄にメンバーが多いのって
リスクも高くなるってことなんだよな。
組織の方針の段階で
ある程度ふるいにかけておかないと
大変なことになる。
あと、恋愛するのは自由だけど
男のせいで女性メンバーが
いなくなるのは防ぎたい。
積極的に女性メンバーの位置づけは
守っていかんとね〜。
俺が必要だと思えば女性を優先にすることも
出てくるだろうね。
当然だけど。
今年から方針を変えよう変えようと
思ってたけどなかなか動き出せなかった。
けど、それは色んなバランスを考えてのことだった。
以前、楽遊会は第二世代から第三世代に
変わります!みたいなことを言って
常連さんに「おい!」っていわれたことがあった!笑
でもそれくらい自分の中で
ガラッと勢いつけないと
出来ない事も正直あるんだよね。
俺が保守的ってどうなん。
絶対ありえんだろ!笑
常に革新的でないと楽遊会無理だわ。
かなり偏ってもいいからやろう。
映像って偉大だな。
写真ではその頃の会話とかは
残らない。
雰囲気だけ残すからいいという考えもあるだろうけど
俺は違うな。
音声も会話の内容も残ってるほうがいい!
しかし、編集はしないとダメだね。笑
面白くないとこはカットしないと!笑
また、それが出来るから映像はいいね◎
まさに思い出は美しく!!◎
楽しく美しく残るなら最高じゃん♪
数年後に編集した物を
みんなで見たり出来たらええよな。
オフ会の映像だけで30個くらいは
残ってた!
これは財産だな。
その他プライベートでメンバーと
遊びに行ったり
弾き語りメインの頃の仲間とかも
残ってたり。
その時の声、会話、雰囲気
そのまま残ってる。
もう二度と同じようには戻れない
前の家の映像とかもな、あるんよな。
2004年の映像があるということは
10年前から俺はずっと映像の可能性を
大切にしてきた。
手元に見つからないからあれだけど
2004年より前にも
ビデオカメラ使ってた記憶があるから
実際にはもうちょっと前からか。
意識してなければ10年前の映像なんて絶対残ってない。
逆にこれから10年経ったときに
現在の映像が残るかどうかは今の自分にかかってるんよね。
うん、間違ってなかった。
これからも我が道をいこう。
結局正しかったかそうじゃなかったかなんて
やってみないとわかんないんだから。笑
だとしたら保守的になって
縮こまってるより
100回失敗して
1回大成功したらええよな◎
世界にはもう数えきれないくらい人間がおる。
思っただけの人間を集められないなら
それは確実に自分が至らないせいだ。
街に出ればいくらでも人はいるわけだし
その人達の財布の中にはお金もある。
だからビジネスがうまくいかないっていうのも
ただの言い訳にしかならないんだよね。笑
人の心が動くか動かないか。
動かせるか動かせないか。
そこだよね。
全力でやっても動かせるかわかんないのに
自分という人間の持てる力を総動員させないと
無理だろ。
だとしたら、長所とか短所とか
なりふり構ってる場合じゃない。
圧倒的な長所(メリット)を
ニッチな価値観のもちぬしにでも
感じてもらえればそれは強いわな。
常識にとらわれてる人とか
細かい事を気にする人は俺は無理だから
そういう人に関わらずにいこう。
それが相手の為でもある。
どうしても関わらなければならない場合は
こちらが譲ろう。
相手を不快にさせたくはないし
自分が正しいなんて思ってはいないから。
人間なんて
何が正しくて正しくないなんて
本来ないよ。
だからこそ再び、引き続き、
我が道をいこうと思う。
2014年2月28日金曜日
プラスの力で全てを変える。
時々ね、思うんよ。
マイナスの力って強いよなってさ。
悪口や変な噂ってすごく早く広まるものだし
悪口を言う者同士って結託したりするじゃん??
人気者を潰すのって簡単なんだろうなとかね。。
でもなんていうんだろ、
マイナスの力を使って人を貶めることって
裏技を使ってゲームをクリアするのに
少し似てるというか。
裏技が存在してる以上それを使ってもいいだろって
思う人もいれば
裏技を使うのは卑怯だという人もいる。
何より俺はゲームがつまらなくなると思うんだよね。
スライムを倒すのに苦戦してるときもさ
後から考えたら、なんかいいじゃん?笑
一生懸命でさ。
それで徐々に成長してギリギリ倒せるか
倒せないかの敵と戦うから面白いんでしょ?
プラスの力でいくから面白いんでしょ。
マイナスや影は
プラスや光の副産物でしかないと思ってる。
この世界が光で満たされているように
きっと光の力、つまりプラスの力で
いくべきだと思うんだよね。
いつか振りまいた力ってのは
大きくなって戻ってくると思ってる。
プラスを振りまけば
プラスが大きくなって返ってくるし
マイナスを振りまけば
マイナスが大きくなって返ってくる。
短期的に見ればマイナスの力は強いけど
長期的に見ればきっとマイナスの力を飲み込んで
さらにプラスは増大する。
そんな気がしてるよ。
マイナスの力って強いよなってさ。
悪口や変な噂ってすごく早く広まるものだし
悪口を言う者同士って結託したりするじゃん??
人気者を潰すのって簡単なんだろうなとかね。。
でもなんていうんだろ、
マイナスの力を使って人を貶めることって
裏技を使ってゲームをクリアするのに
少し似てるというか。
裏技が存在してる以上それを使ってもいいだろって
思う人もいれば
裏技を使うのは卑怯だという人もいる。
何より俺はゲームがつまらなくなると思うんだよね。
スライムを倒すのに苦戦してるときもさ
後から考えたら、なんかいいじゃん?笑
一生懸命でさ。
それで徐々に成長してギリギリ倒せるか
倒せないかの敵と戦うから面白いんでしょ?
プラスの力でいくから面白いんでしょ。
マイナスや影は
プラスや光の副産物でしかないと思ってる。
この世界が光で満たされているように
きっと光の力、つまりプラスの力で
いくべきだと思うんだよね。
いつか振りまいた力ってのは
大きくなって戻ってくると思ってる。
プラスを振りまけば
プラスが大きくなって返ってくるし
マイナスを振りまけば
マイナスが大きくなって返ってくる。
短期的に見ればマイナスの力は強いけど
長期的に見ればきっとマイナスの力を飲み込んで
さらにプラスは増大する。
そんな気がしてるよ。
2014年2月22日土曜日
主体性とエゴ。
自分が「こっちの方が
いいだろう」と思う事と
現実っていうのには
時々ズレがありますよね。
例えば
主体性を発揮しなければならない部分と
でしゃばってはいけない部分の判断。。
こういうのは非常に難しい。
まさに、空気を読む力が必要なわけです。
自分で組織を立ち上げて
運営していく中では
とくにこの場面によく遭遇します。
トップが仕切りすぎると
メンバーは主体性を失い楽しめなくなる。
全く仕切らないと
いざ舵をとらないといけないときに
とれなくなる。
メンバーの主体性を失わず
組織として進むべき方向へ進もうと考える時
リーダーというのは皆悩むのかもしれない。
そう考えるとキチッとした
会社のように段階的な組織図を作っておけば
統率はしやすいのだろう。
昔からルールとかマニュアルとか嫌いで
そういうものがないところでやっていきたいと
思ってた。
でももしかしたらそれはとても少数の人間なのではないかと
考えだしたのは実はつい最近なんだよね。
俺が思う事がみんないいって賛同してもらえるとは
思ってないんだけど
それでも絶対こっちの方がいいだろう!って
自信を持ってることはいくつかあった。
まさかそれが少数であるなんて考えもしなかった。
誰かから言われるわけではないんだ。
それこそ空気を読んだ時にさ
感じるわけ。
誰もが自由を求めてるわけではないのだと。
思い知らされるわけ。
究極の価値観の違い。
しかし、同時に思った。
誰もが俺が求めるような自由を求めた場合
まず、組織として成り立たないよな。。と。
時々出てくる、「なおきち」の立場になろうとする人。
本人自覚ないのかもしれないけど
女の子はそういうのすごく敏感に感じてるんだよね。
あの人なんなの?
なおきちさんになりたいの?
なんてのはここ何年かよく聞く。
俺の真似をすれば俺と同じ事が
出来るわけではないんよな。
とくに俺の組織の中で
俺の位置づけになろうと無意識にでも
考える人間は
反感をかってる。
まあ、当然ではあるんだけど。
楽遊会の中では
メンバーの面白さを
俺が見つけて賞賛することがよくある。
そしたら一気に輪の中心になる。
そうなった時に今までの人間関係のやり方では
成立しなくなり
精神的に押しつぶされてしまい
結果、楽遊会から去るというのがあった。
今まで友達がたくさんいた人でも
通常同じジャンルの人間が
周りのほとんどなのに
楽遊会の場合は価値観も状況も
様々な人がいる。
だから少数合わない人がいても
精神的に苦しくなり
どこかに行ってしまう人がいるんよね。
なおきちさんの事は嫌いではないんだけど
メンバーのあの人が来る限りいかない。。
みたいなのは昔からあること。
逆に、今まで友達がいなかった人が
一気に輪の中心になったとき。
これもやはり精神的ストレスはあるみたい。
メンバー同士で個人的に遊びだすと
俺の目が届かなくなり
トラブルもよく聞く。
その結果、メンバーが気まずくなり
こなくなったりする。
そういうのはどこにでもあるんだろうけど
正直嫌なんだよね。
まあ、それも俺が統率出来てない証拠ではあるんだけど。
もともと楽遊会は個人的な集まりだった。
正直、俺の居場所を増やすことが目的だった。
当時、弾き語りしてたから
そこに居場所はあったんだけど
もっと違う人達と関わりたかったのもあってね。
で、たくさん人が集まってくれるようになり
俺の居場所とメンバーの居場所になった。
誰もが自己顕示欲というものを持っているので
面白いメンバーを中心に置けば
メンバーも楽しいだろうしいいだろうなぁと思い
もともと社交的じゃない俺は一線から退こうと思った。
しかし、よくかんがえたらこれが間違いだったのかもしれない。
もともと
弾き語り
ハンドメイド
写真
等、俺の能力をフルに活かして
俺が中心として
自分の魅力も含め人を集めていた時と
何かが違うような気がしてる。
いつからか
楽遊会は個人的なものではなく
「みんな 」のものだと俺が思うようになり
遠慮もうまれるようになった。
自分より相手を優先する事も増える。
そうなった時に楽遊会としての
主体性はどこにあるのかと。
そう思った。
考えたけど
どこにもなかった。。
やはり当然だけど
俺が中心になって
俺の力で
俺の魅力で
人を集めていかないと
尊敬もされない
感謝もされない
何も無い
魅力も無いような組織に
なっていってもしょうがないと思った。
いつからか
俺の組織なのに
俺が主体性を発揮する事が
エゴなんじゃないかと
心のどこかで思ってた。
わがままを出す事が恐くなっていたのかもしれない。
でも我が侭と主体性って紙一重なんだよね。
結果、良質なメンバーが増えれば
俺がどれだけ主体性を発揮しても
現存のメンバーにとってのメリットは大きいわけだし
統率もとりやすくなる。
少し前にも書いたけど
リスペクトし合えない関係に意味なんてないんだよ。
無駄だし魅力的ではない。
小規模の戦略をずっと引きずったまま
ここまできてしまったのかもしれないと
反省してる。
人の意見を聞く事は確かに大事だよね、
でもさ、人の意見を聞いていなかった時代の方が
うまくいってた現実ってどうなんだろ。
また、正しい意見をとりいれまくるとさ
短所のない、しかし長所もない
平均的な組織になると思った。
それよりは
メチャクチャ変な組織で偏ってるけど
メチャクチャ魅力あるとこの方がええよな。
どうすれば批判されないかということを考えるんじゃなくてさ
どうすれば面白い事が出来るかってことを
考えたらええかもな。
組織が大きくなれば
俺だけでは責任がとれなくなることも多くなる。
そして大きくなれば比例するように
批判や否定の声も大きくなる。
その全てに耳を貸す事が
リーダーの役目だと思ってたけど
それはクレームセンターの役目だよな。
俺がエゴだと思っていたことは
実はとても必要だったのだと今思ってる。
押しつけにならないように。。
なんて考えながら走ってきたけど
そんなんじゃベストは出せない。
俺はこうだ!
気に入ったやつはついてこい!
気に入らないやつは去ってくれてかまわない!
っていうスタンスじゃないと
結局わがままな俺は
何も動けないんだろうな。
なんかそう思ったよ。
自己中人間がさ
周りに合わせようとするから
変な事になるんだ。
自分が属する側の人間なら
しょうがない。
我慢するしか無い。
ただ、俺は立ち上げてんだ。
本来誰のいうことも聞かなくていい!
誰かの言いなりになるのが嫌だから
我が侭に生きたいから
自分で立ち上げたんだろ?
誰もついてきてくれなくても
1人でやるだけの覚悟は
最初からあるだろ?
だったらそれが答えじゃんって話し。
価値観合わない人間も含め
たくさん集めても結局それは
批判を集めてるだけだよな。笑
価値観合わない人は最初から
入らない方がいいわな。
それがリスペクトしてくれてるメンバーを
守ることにもなるわけだ。
ハードルは低く保つよ。
けどな、俺を嫌いな人は
いつでも去ってくれというスタンスでいこう。
引き止める理由はどこにもない。
去っていった人に使うはずだった時間を
大切な人達に使えば一番ええよな。
俺自身嫌いな人はそんなにいない。
けど、だからといって
俺が嫌われないということではない。
もちろん、構わない。
さみしいけどね。笑
でも、それを恐れてたら何も進まない。
もともと狭く深く関わる人間だもんな。
俺が大好きな人達が俺のそばにいてくれれば
俺は幸せだ。笑
はい、でた!
自己中!笑
人間そんなもんでしょ。
出来るだけたくさんの人の居場所を作ってやりたいよ。
しかし、居場所を提供しようと思ってる相手から
嫌われてまで作ろうとは思わない。笑
全ての人が幸せになったらいいと思ってる。
でもよく考えたら俺のそばじゃなくても
世界は広いし幸せになれる場所なんて
いくらでもあるんだよな。
全ての不幸な人を良い方向に
導いてあげることが出来たら本当にいいけど
まだタイミングじゃない人だっておるしな。
巡り巡ってまた出会って
そのときタイミングがくるかもしれんしな。
俺が自分の居場所を作ろうと思い
楽遊会を作り
その中でみんなの居場所を作ろうと思った。
その理由はさ、
誰もが居場所があり
安心して眠れる場所があり
美味しい御飯が食べれること
それ自体が俺の幸せでもあるんだよね。
だからこそ楽遊会の中に
みんなの居場所を作りたいと思った。
子供がさ、
幸せそうに眠っていたり
楽しそうに遊んでいたりしたらさ
それだけで嬉しくてかわいくて幸せになるじゃん?
あれを子供だけではなく
俺は大人にも感じるんだよ。
ひとりぼっちだった人に友達が出来たら嬉しいし
うまくいかなかったことがうまくいったら嬉しい。
他人はな、
自分の一部なんだと思う。
だから本気で腹も立つ。
自分のことのようにな。
だって、自分の一部だもんな。
同じように
俺もみんなの一部なんだと思ってる。
たくさんの自分の欠片を集めるように
楽遊会は未だ見ぬ「もとの姿」に
戻っていけたらいいな。
いいだろう」と思う事と
現実っていうのには
時々ズレがありますよね。
例えば
主体性を発揮しなければならない部分と
でしゃばってはいけない部分の判断。。
こういうのは非常に難しい。
まさに、空気を読む力が必要なわけです。
自分で組織を立ち上げて
運営していく中では
とくにこの場面によく遭遇します。
トップが仕切りすぎると
メンバーは主体性を失い楽しめなくなる。
全く仕切らないと
いざ舵をとらないといけないときに
とれなくなる。
メンバーの主体性を失わず
組織として進むべき方向へ進もうと考える時
リーダーというのは皆悩むのかもしれない。
そう考えるとキチッとした
会社のように段階的な組織図を作っておけば
統率はしやすいのだろう。
昔からルールとかマニュアルとか嫌いで
そういうものがないところでやっていきたいと
思ってた。
でももしかしたらそれはとても少数の人間なのではないかと
考えだしたのは実はつい最近なんだよね。
俺が思う事がみんないいって賛同してもらえるとは
思ってないんだけど
それでも絶対こっちの方がいいだろう!って
自信を持ってることはいくつかあった。
まさかそれが少数であるなんて考えもしなかった。
誰かから言われるわけではないんだ。
それこそ空気を読んだ時にさ
感じるわけ。
誰もが自由を求めてるわけではないのだと。
思い知らされるわけ。
究極の価値観の違い。
しかし、同時に思った。
誰もが俺が求めるような自由を求めた場合
まず、組織として成り立たないよな。。と。
時々出てくる、「なおきち」の立場になろうとする人。
本人自覚ないのかもしれないけど
女の子はそういうのすごく敏感に感じてるんだよね。
あの人なんなの?
なおきちさんになりたいの?
なんてのはここ何年かよく聞く。
俺の真似をすれば俺と同じ事が
出来るわけではないんよな。
とくに俺の組織の中で
俺の位置づけになろうと無意識にでも
考える人間は
反感をかってる。
まあ、当然ではあるんだけど。
楽遊会の中では
メンバーの面白さを
俺が見つけて賞賛することがよくある。
そしたら一気に輪の中心になる。
そうなった時に今までの人間関係のやり方では
成立しなくなり
精神的に押しつぶされてしまい
結果、楽遊会から去るというのがあった。
今まで友達がたくさんいた人でも
通常同じジャンルの人間が
周りのほとんどなのに
楽遊会の場合は価値観も状況も
様々な人がいる。
だから少数合わない人がいても
精神的に苦しくなり
どこかに行ってしまう人がいるんよね。
なおきちさんの事は嫌いではないんだけど
メンバーのあの人が来る限りいかない。。
みたいなのは昔からあること。
逆に、今まで友達がいなかった人が
一気に輪の中心になったとき。
これもやはり精神的ストレスはあるみたい。
メンバー同士で個人的に遊びだすと
俺の目が届かなくなり
トラブルもよく聞く。
その結果、メンバーが気まずくなり
こなくなったりする。
そういうのはどこにでもあるんだろうけど
正直嫌なんだよね。
まあ、それも俺が統率出来てない証拠ではあるんだけど。
もともと楽遊会は個人的な集まりだった。
正直、俺の居場所を増やすことが目的だった。
当時、弾き語りしてたから
そこに居場所はあったんだけど
もっと違う人達と関わりたかったのもあってね。
で、たくさん人が集まってくれるようになり
俺の居場所とメンバーの居場所になった。
誰もが自己顕示欲というものを持っているので
面白いメンバーを中心に置けば
メンバーも楽しいだろうしいいだろうなぁと思い
もともと社交的じゃない俺は一線から退こうと思った。
しかし、よくかんがえたらこれが間違いだったのかもしれない。
もともと
弾き語り
ハンドメイド
写真
等、俺の能力をフルに活かして
俺が中心として
自分の魅力も含め人を集めていた時と
何かが違うような気がしてる。
いつからか
楽遊会は個人的なものではなく
「みんな 」のものだと俺が思うようになり
遠慮もうまれるようになった。
自分より相手を優先する事も増える。
そうなった時に楽遊会としての
主体性はどこにあるのかと。
そう思った。
考えたけど
どこにもなかった。。
やはり当然だけど
俺が中心になって
俺の力で
俺の魅力で
人を集めていかないと
尊敬もされない
感謝もされない
何も無い
魅力も無いような組織に
なっていってもしょうがないと思った。
いつからか
俺の組織なのに
俺が主体性を発揮する事が
エゴなんじゃないかと
心のどこかで思ってた。
わがままを出す事が恐くなっていたのかもしれない。
でも我が侭と主体性って紙一重なんだよね。
結果、良質なメンバーが増えれば
俺がどれだけ主体性を発揮しても
現存のメンバーにとってのメリットは大きいわけだし
統率もとりやすくなる。
少し前にも書いたけど
リスペクトし合えない関係に意味なんてないんだよ。
無駄だし魅力的ではない。
小規模の戦略をずっと引きずったまま
ここまできてしまったのかもしれないと
反省してる。
人の意見を聞く事は確かに大事だよね、
でもさ、人の意見を聞いていなかった時代の方が
うまくいってた現実ってどうなんだろ。
また、正しい意見をとりいれまくるとさ
短所のない、しかし長所もない
平均的な組織になると思った。
それよりは
メチャクチャ変な組織で偏ってるけど
メチャクチャ魅力あるとこの方がええよな。
どうすれば批判されないかということを考えるんじゃなくてさ
どうすれば面白い事が出来るかってことを
考えたらええかもな。
組織が大きくなれば
俺だけでは責任がとれなくなることも多くなる。
そして大きくなれば比例するように
批判や否定の声も大きくなる。
その全てに耳を貸す事が
リーダーの役目だと思ってたけど
それはクレームセンターの役目だよな。
俺がエゴだと思っていたことは
実はとても必要だったのだと今思ってる。
押しつけにならないように。。
なんて考えながら走ってきたけど
そんなんじゃベストは出せない。
俺はこうだ!
気に入ったやつはついてこい!
気に入らないやつは去ってくれてかまわない!
っていうスタンスじゃないと
結局わがままな俺は
何も動けないんだろうな。
なんかそう思ったよ。
自己中人間がさ
周りに合わせようとするから
変な事になるんだ。
自分が属する側の人間なら
しょうがない。
我慢するしか無い。
ただ、俺は立ち上げてんだ。
本来誰のいうことも聞かなくていい!
誰かの言いなりになるのが嫌だから
我が侭に生きたいから
自分で立ち上げたんだろ?
誰もついてきてくれなくても
1人でやるだけの覚悟は
最初からあるだろ?
だったらそれが答えじゃんって話し。
価値観合わない人間も含め
たくさん集めても結局それは
批判を集めてるだけだよな。笑
価値観合わない人は最初から
入らない方がいいわな。
それがリスペクトしてくれてるメンバーを
守ることにもなるわけだ。
ハードルは低く保つよ。
けどな、俺を嫌いな人は
いつでも去ってくれというスタンスでいこう。
引き止める理由はどこにもない。
去っていった人に使うはずだった時間を
大切な人達に使えば一番ええよな。
俺自身嫌いな人はそんなにいない。
けど、だからといって
俺が嫌われないということではない。
もちろん、構わない。
さみしいけどね。笑
でも、それを恐れてたら何も進まない。
もともと狭く深く関わる人間だもんな。
俺が大好きな人達が俺のそばにいてくれれば
俺は幸せだ。笑
はい、でた!
自己中!笑
人間そんなもんでしょ。
出来るだけたくさんの人の居場所を作ってやりたいよ。
しかし、居場所を提供しようと思ってる相手から
嫌われてまで作ろうとは思わない。笑
全ての人が幸せになったらいいと思ってる。
でもよく考えたら俺のそばじゃなくても
世界は広いし幸せになれる場所なんて
いくらでもあるんだよな。
全ての不幸な人を良い方向に
導いてあげることが出来たら本当にいいけど
まだタイミングじゃない人だっておるしな。
巡り巡ってまた出会って
そのときタイミングがくるかもしれんしな。
俺が自分の居場所を作ろうと思い
楽遊会を作り
その中でみんなの居場所を作ろうと思った。
その理由はさ、
誰もが居場所があり
安心して眠れる場所があり
美味しい御飯が食べれること
それ自体が俺の幸せでもあるんだよね。
だからこそ楽遊会の中に
みんなの居場所を作りたいと思った。
子供がさ、
幸せそうに眠っていたり
楽しそうに遊んでいたりしたらさ
それだけで嬉しくてかわいくて幸せになるじゃん?
あれを子供だけではなく
俺は大人にも感じるんだよ。
ひとりぼっちだった人に友達が出来たら嬉しいし
うまくいかなかったことがうまくいったら嬉しい。
他人はな、
自分の一部なんだと思う。
だから本気で腹も立つ。
自分のことのようにな。
だって、自分の一部だもんな。
同じように
俺もみんなの一部なんだと思ってる。
たくさんの自分の欠片を集めるように
楽遊会は未だ見ぬ「もとの姿」に
戻っていけたらいいな。
2014年2月20日木曜日
下書き保存の蓄積。
このなおきちずむ。をはじめて
どれくらい経っただろうか。
正直意識してない。
日々の直感やひらめき、
思想を残す事にただ没頭していた。
書きながら途中でやめたものは
全て自動的に下書き保存される。
それらを公開するには
気持ち的に少し憚られる。
マイナスな要素を含む事や
主観が強すぎるもの、
タイミングを逃したもの達。
その言葉はデジタルとして
行った事もない見た事も無い
企業のサーバー上にひっそりと眠る。
日の目を見る事も無く。
よく考えれば不思議なものだ。
個人のなんでもない思想を
個人が家でパソコンを打ち
おそらく海外のサーバーに
無料で蓄積していく。
そんなことに想いを馳せると
まるで宇宙について考えてるような気持ちになる。
自分の想像の追いつかない世界。
しかし、現実にそれが成立してんだよな。
知らないことばかりだ。
一生かけて色んな事をかじって学んでも
この世の全てを知る事は出来ないし
この世の全ての人に会うことも出来ないんだ。。
そしてこうしている間にも
どこかで誰かが死に
二度とあえなくなっていく。
あまりにも多すぎて速すぎて
どうしたらいいのか
時々わからなくなるんだ。
そんな時決まって思うのが
とにかく一日を濃く生きよう。
好きな事をしよう。
好きな人に会おう。
長所を伸ばす事に集中しようということ。
短所を補う事も大切なのだろうけど
長所を伸ばす為にも使える時間を
短所を補う事に使えば
平均的な人間に近づくということ。
しかし、価値はそこにはないと思ってんだ。
オリンピックだって
短距離走者は延々短距離走を極めるから
すごいわけであって
片手間でいろんな種目をかじっても
どこかで突出した結果なんて
出せないよね。
一つを極めるからすごいんだ。
一つを極めるという事は極端に言えば
他の事がおろそかになってもいいから
その道を極めるという事。
短距離走のトップが
水泳出来なくても大した事ではないし
短距離においての価値は全くさがらないんだよね。
同じように自分の強みを把握して
そこを伸ばしていく事が大切かな。
自分の理想な報酬プラン、ライフスタイル、
全てにおいても我が侭でいい。
我が侭でいいし人に批判されるような
自己中心的だと思えるようなものだとしてもいいから
それを実現出来るようなアイデアを見つけよう。
そこが大切だと思ってる。
どんなことでも新しいものは
批判されるんだから。
もしかしたらあなたの中に浮かぶ
アイデアは批判されるかもしれない。
でも、それは見た事も聞いた事もないものだからかもしれない。
全ては結果。
結果を出してしまえば
周りは徐々に静かになる。
批判の声が声援に変わる瞬間。
人間なんて勝手なものだしいい加減なものだよ。
そんなものに振り回される必要は無い。
批判する人は批判することにおいて
責任を持とうとすら考えていないのだから。
あなたはあなたの人生において
責任を持たなければならない。
だとすればどちらが大切かは
自ずと見えてくる。
人生プランを「下書き保存」で
終わらせるようなことだけは
したくないよな。
どれくらい経っただろうか。
正直意識してない。
日々の直感やひらめき、
思想を残す事にただ没頭していた。
書きながら途中でやめたものは
全て自動的に下書き保存される。
それらを公開するには
気持ち的に少し憚られる。
マイナスな要素を含む事や
主観が強すぎるもの、
タイミングを逃したもの達。
その言葉はデジタルとして
行った事もない見た事も無い
企業のサーバー上にひっそりと眠る。
日の目を見る事も無く。
よく考えれば不思議なものだ。
個人のなんでもない思想を
個人が家でパソコンを打ち
おそらく海外のサーバーに
無料で蓄積していく。
そんなことに想いを馳せると
まるで宇宙について考えてるような気持ちになる。
自分の想像の追いつかない世界。
しかし、現実にそれが成立してんだよな。
知らないことばかりだ。
一生かけて色んな事をかじって学んでも
この世の全てを知る事は出来ないし
この世の全ての人に会うことも出来ないんだ。。
そしてこうしている間にも
どこかで誰かが死に
二度とあえなくなっていく。
あまりにも多すぎて速すぎて
どうしたらいいのか
時々わからなくなるんだ。
そんな時決まって思うのが
とにかく一日を濃く生きよう。
好きな事をしよう。
好きな人に会おう。
長所を伸ばす事に集中しようということ。
短所を補う事も大切なのだろうけど
長所を伸ばす為にも使える時間を
短所を補う事に使えば
平均的な人間に近づくということ。
しかし、価値はそこにはないと思ってんだ。
オリンピックだって
短距離走者は延々短距離走を極めるから
すごいわけであって
片手間でいろんな種目をかじっても
どこかで突出した結果なんて
出せないよね。
一つを極めるからすごいんだ。
一つを極めるという事は極端に言えば
他の事がおろそかになってもいいから
その道を極めるという事。
短距離走のトップが
水泳出来なくても大した事ではないし
短距離においての価値は全くさがらないんだよね。
同じように自分の強みを把握して
そこを伸ばしていく事が大切かな。
自分の理想な報酬プラン、ライフスタイル、
全てにおいても我が侭でいい。
我が侭でいいし人に批判されるような
自己中心的だと思えるようなものだとしてもいいから
それを実現出来るようなアイデアを見つけよう。
そこが大切だと思ってる。
どんなことでも新しいものは
批判されるんだから。
もしかしたらあなたの中に浮かぶ
アイデアは批判されるかもしれない。
でも、それは見た事も聞いた事もないものだからかもしれない。
全ては結果。
結果を出してしまえば
周りは徐々に静かになる。
批判の声が声援に変わる瞬間。
人間なんて勝手なものだしいい加減なものだよ。
そんなものに振り回される必要は無い。
批判する人は批判することにおいて
責任を持とうとすら考えていないのだから。
あなたはあなたの人生において
責任を持たなければならない。
だとすればどちらが大切かは
自ずと見えてくる。
人生プランを「下書き保存」で
終わらせるようなことだけは
したくないよな。
2014年2月19日水曜日
形の無い幸せの形。
ライフスタイルや
収入を得る方法、
自由の定義等
様々な事が多種多様な時代になりました。
ドライになった部分もあれば
ネチネチするようになった部分も
あるように思います。
その全てに文句を言うより
自分の理想と照らし合わせ
どうすればいいのかを考える事が
建設的だと日々思っています。
過去の常識を
今も引きずっている場面は
思いの外多い。
それが悪いと言いたいのではなくて
俺の価値観の中では
ちょっと理想とズレてしまうので
個人的な視点で書いてみようと思っています。
友達
恋人
結婚相手
今はこれに当てはまらない関係性っていうのもあると思っています。
関係性はグラデーション。
知り合いから友達になっていくのが
グラデーションのように
正確に関係性を示す事は出来ないと思っています。
また、無理にあてはめる必要もないと思っています。
男性も女性も
自分で自分の収入を得る事が出来るようになった時代。
結婚だけが全てではないと思うし
子供がいることが偉いということにもならないと思っています。
大切なのは自分で選択するということ。
選択肢がないのであれば
選択出来るように努力をするべきだと思っています。
何が偉くて
何が劣っているかなんて
関係性においてはないと思います。
結婚してれば勝ち組
出来なければ負け組なんて表現が
流行りましたが
それもナンセンスだと思いますね。
新しい関係性はどんどん生まれると思います。
結婚しているのに別居で幸せに暮らしたり
籍を入れずに一生過ごしたり。
そういう曖昧な関係性を
悪く言う風潮があるけれど
本人同士がそれを求めているのであれば
それを周りがどうこういう必要は無い。
結婚したってかなりの確率で
離婚する時代です。
幸せの形も一概には言えないし
お金でもはかれない。
お金をたくさん持っていても
孤独な人はいるし
お金がなくても毎日最高に笑ってる人だっている。
幸せの形でさえ常識が適用されることさえあります。
いい学校に行き
いい会社に勤め
若くして結婚して
子供が出来、
マイホーム
マイカーを持つこと。
これはなんだか常識的な幸せのような気がしています。
人によっては
結婚をせず
子供も作らず
お金はないけど
我が侭に生きていく事が
最高に幸せな人もいると思います。
そういうのは大人になりきれない大人だと
烙印を押されてしまいそうですが
じゃあ、誰がその烙印を押すのかというと
「管理する側の人間」だと思うんですね。
思えば俺たちは
管理しやすいような常識を
子供の頃から
疑問を持たずに染み込まされてきた気がします。
人間の価値観が多種多様なように
幸福の条件も多種多様で当然であり
そこに結婚やお金っていうのは
必須項目ではないと思うんです。
もちろん、社会のバランスを保つ為には
常識的な教育というのは必要だとは思うのですが
結婚出来ない事やお金がない事で
死ぬ程悩んでいる人がいるのも事実。
そんなことで死んでしまうくらいなら
もっと気楽に生きたらいいんじゃないかと
俺は思ってる。
偏見を持たれてしまうような生き方を
選んだ方が幸せな人もいますよね。
罪悪感を抱えながら生きていくよりも
これが自分の幸せだと堂々と生きてほしい。
もちろん、人に危害を加えるような事は
いくら自分の幸せだとしても
よくないと思います。
出来る限り物事をフラットに考える俺でも
そこは譲れない。
なぜなら自分が幸福を追求するのと同じように
他の誰かも幸福を追求しているのだから。
共存していけることは必須条件。
形のない関係性
形のない幸せ
それらを選ぶのは自分次第だし
常識的な善悪を一旦外して
本当は何をしたいのか
考えてみる事を
全ての人に提案したい。
収入を得る方法、
自由の定義等
様々な事が多種多様な時代になりました。
ドライになった部分もあれば
ネチネチするようになった部分も
あるように思います。
その全てに文句を言うより
自分の理想と照らし合わせ
どうすればいいのかを考える事が
建設的だと日々思っています。
過去の常識を
今も引きずっている場面は
思いの外多い。
それが悪いと言いたいのではなくて
俺の価値観の中では
ちょっと理想とズレてしまうので
個人的な視点で書いてみようと思っています。
友達
恋人
結婚相手
今はこれに当てはまらない関係性っていうのもあると思っています。
関係性はグラデーション。
知り合いから友達になっていくのが
グラデーションのように
正確に関係性を示す事は出来ないと思っています。
また、無理にあてはめる必要もないと思っています。
男性も女性も
自分で自分の収入を得る事が出来るようになった時代。
結婚だけが全てではないと思うし
子供がいることが偉いということにもならないと思っています。
大切なのは自分で選択するということ。
選択肢がないのであれば
選択出来るように努力をするべきだと思っています。
何が偉くて
何が劣っているかなんて
関係性においてはないと思います。
結婚してれば勝ち組
出来なければ負け組なんて表現が
流行りましたが
それもナンセンスだと思いますね。
新しい関係性はどんどん生まれると思います。
結婚しているのに別居で幸せに暮らしたり
籍を入れずに一生過ごしたり。
そういう曖昧な関係性を
悪く言う風潮があるけれど
本人同士がそれを求めているのであれば
それを周りがどうこういう必要は無い。
結婚したってかなりの確率で
離婚する時代です。
幸せの形も一概には言えないし
お金でもはかれない。
お金をたくさん持っていても
孤独な人はいるし
お金がなくても毎日最高に笑ってる人だっている。
幸せの形でさえ常識が適用されることさえあります。
いい学校に行き
いい会社に勤め
若くして結婚して
子供が出来、
マイホーム
マイカーを持つこと。
これはなんだか常識的な幸せのような気がしています。
人によっては
結婚をせず
子供も作らず
お金はないけど
我が侭に生きていく事が
最高に幸せな人もいると思います。
そういうのは大人になりきれない大人だと
烙印を押されてしまいそうですが
じゃあ、誰がその烙印を押すのかというと
「管理する側の人間」だと思うんですね。
思えば俺たちは
管理しやすいような常識を
子供の頃から
疑問を持たずに染み込まされてきた気がします。
人間の価値観が多種多様なように
幸福の条件も多種多様で当然であり
そこに結婚やお金っていうのは
必須項目ではないと思うんです。
もちろん、社会のバランスを保つ為には
常識的な教育というのは必要だとは思うのですが
結婚出来ない事やお金がない事で
死ぬ程悩んでいる人がいるのも事実。
そんなことで死んでしまうくらいなら
もっと気楽に生きたらいいんじゃないかと
俺は思ってる。
偏見を持たれてしまうような生き方を
選んだ方が幸せな人もいますよね。
罪悪感を抱えながら生きていくよりも
これが自分の幸せだと堂々と生きてほしい。
もちろん、人に危害を加えるような事は
いくら自分の幸せだとしても
よくないと思います。
出来る限り物事をフラットに考える俺でも
そこは譲れない。
なぜなら自分が幸福を追求するのと同じように
他の誰かも幸福を追求しているのだから。
共存していけることは必須条件。
形のない関係性
形のない幸せ
それらを選ぶのは自分次第だし
常識的な善悪を一旦外して
本当は何をしたいのか
考えてみる事を
全ての人に提案したい。
2014年2月15日土曜日
アスリート用の筋肉。
例えばさ、
ボルダリングする人にはボルダリングする人用の
筋肉がつくと思うのね。
水泳選手には水泳をするのに適した筋肉がつくし
100m走の選手にもそれに適した筋肉がつくんよな。
面白い事に走ることだけに関しても
長距離と短距離では筋肉の付き方が違うし
マラソン選手とボディービルダーは
全然見た目から違ってくるんよな。
だからさ、
何が言いたいかというとね
好きな事ずっとやったほうがいいって言いたい。
ここからは俺の持論なんだけど
脳に筋肉みたいなのがあるとしてさ
写真撮るには写真撮る用の、
ギター弾くにはギター弾く用の何かが
あるんだと思うんだ。
だから、
やりたいこといつもやってないとさ
感覚が鈍るというか
下手になるというか。
最悪の場合本当にやりたいことか
どうかとかもわかんなくなっちゃう気がするんだ。
それはとてもこわいこと。
例えば写真撮るにしても
好きな写真を撮るべき。
見たくない物や撮りたくないもの、
残したくないものはとるべきじゃないと思う。
ギターでいうと作りたくない曲は作るべきではない。
生まれてくるもの全てに命があるとするならば
それは人間だけではなく
意思はなくとも「不幸」だと思うんだ。
もちろん副産物的に
たまたま生まれてきたものを愛してくれる人も
いるかもしれないけれど
本来の主旨とは違うはずなんだよね。
総合的に考えて
好きな事を好きなようにやるべきだと思ってる。
嫌いな事で成功してしまった人は
俺は不幸だと思ってんだ。
たまたま才能あって
何かで成功したとしても
望んだことでなければ
例えどれだけお金をもらえても不幸だと思う。
望んだペースで望んだ事を
望んだようにやれることが一番気持ちいいよな。
あと、
だらけてると体と同じで
脂肪がついてくると思う。
中学校バスケ部 だったときにさ
一日休んだら三日戻ってしまうっていう
話しを聞いた。
1日休んだら3日練習しないと
休む前の状態には戻れないと。
極端な話しかもしれないけど
そういう感覚は確かにある。
体だけではなく脳もそうだと思う。
だから、好きな事と関連してる仕事についたり
好きな事を毎日出来る時間が作れるようにしたり
好きなものに触れている努力って
必要かなと思う。
だからこそ、やりたいことは
好きな事じゃないとダメだと思ってる。
義務では続かないでしょ。
こうしたほうがいいんだろうなぁ。。と思っても
好きな事じゃないと腰が重いもんな。
自分が向いてることで
好きな事で
人から求められること。。
となるとかなり限られるかもしれないけれど
誰にだって必ずあるから
まだないひとは
焦らず探したらいいと思うんだ。
もうやりたいことある人は
詳しく俺にも聞かせてほしいな。
人の夢の話しを聞くのは好きだから。
俺も日々
なおきちがやるべき事の
筋肉をつけていこう。
ボルダリングする人にはボルダリングする人用の
筋肉がつくと思うのね。
水泳選手には水泳をするのに適した筋肉がつくし
100m走の選手にもそれに適した筋肉がつくんよな。
面白い事に走ることだけに関しても
長距離と短距離では筋肉の付き方が違うし
マラソン選手とボディービルダーは
全然見た目から違ってくるんよな。
だからさ、
何が言いたいかというとね
好きな事ずっとやったほうがいいって言いたい。
ここからは俺の持論なんだけど
脳に筋肉みたいなのがあるとしてさ
写真撮るには写真撮る用の、
ギター弾くにはギター弾く用の何かが
あるんだと思うんだ。
だから、
やりたいこといつもやってないとさ
感覚が鈍るというか
下手になるというか。
最悪の場合本当にやりたいことか
どうかとかもわかんなくなっちゃう気がするんだ。
それはとてもこわいこと。
例えば写真撮るにしても
好きな写真を撮るべき。
見たくない物や撮りたくないもの、
残したくないものはとるべきじゃないと思う。
ギターでいうと作りたくない曲は作るべきではない。
生まれてくるもの全てに命があるとするならば
それは人間だけではなく
意思はなくとも「不幸」だと思うんだ。
もちろん副産物的に
たまたま生まれてきたものを愛してくれる人も
いるかもしれないけれど
本来の主旨とは違うはずなんだよね。
総合的に考えて
好きな事を好きなようにやるべきだと思ってる。
嫌いな事で成功してしまった人は
俺は不幸だと思ってんだ。
たまたま才能あって
何かで成功したとしても
望んだことでなければ
例えどれだけお金をもらえても不幸だと思う。
望んだペースで望んだ事を
望んだようにやれることが一番気持ちいいよな。
あと、
だらけてると体と同じで
脂肪がついてくると思う。
中学校バスケ部 だったときにさ
一日休んだら三日戻ってしまうっていう
話しを聞いた。
1日休んだら3日練習しないと
休む前の状態には戻れないと。
極端な話しかもしれないけど
そういう感覚は確かにある。
体だけではなく脳もそうだと思う。
だから、好きな事と関連してる仕事についたり
好きな事を毎日出来る時間が作れるようにしたり
好きなものに触れている努力って
必要かなと思う。
だからこそ、やりたいことは
好きな事じゃないとダメだと思ってる。
義務では続かないでしょ。
こうしたほうがいいんだろうなぁ。。と思っても
好きな事じゃないと腰が重いもんな。
自分が向いてることで
好きな事で
人から求められること。。
となるとかなり限られるかもしれないけれど
誰にだって必ずあるから
まだないひとは
焦らず探したらいいと思うんだ。
もうやりたいことある人は
詳しく俺にも聞かせてほしいな。
人の夢の話しを聞くのは好きだから。
俺も日々
なおきちがやるべき事の
筋肉をつけていこう。
2014年2月14日金曜日
リスペクトし合えない関係は意味がない。
この世の中ではさ、
何が正しく何が間違ってるとか
正直俺はないと思ってんのね。
同性愛だろうが
障害者だろうが
ようは本人次第で
他のやつがどうこういうことじゃないと思うわけ。
何不自由なく生活してる人でも
腐ってる人はいるし
障害を抱えてる人だって
人一倍結果出してる人もいるし
ゲイの人だってレズの人だって
たまたま恋愛対象が同性なだけで
ただそれだけでしょ?
そしてそこに偏見を持つ人も俺は
ある意味自由だと思ってる部分がある。
同性を愛するのは自由なのに
同性愛者を差別する人はおかしいなんてのも
価値観の押し付けな気がしてね。
たまたま俺は偏見がないだけであってさ。
究極まで自分の視点をフラットに持って行きたいっていうのは
やっぱりどこかしらあんのね。
悟りたいというか、
自分なりの絶対的な答えを何事に対しても
もっていたいの。
そこには全て理由が存在して
未熟であろうがなんだろうが
俺の意見だと言えることをさ、
一つは用意しておきたいんだ。
全てをこうして書けるなんて思ってない。
色んな人がいるからね。
でもさ、本気で知りたい人は聞いてみてよ。
直接さ。
今、こういうので悩んでんだけどどう思いますか?とか
なんでもいいからさ。
なんかね、
学生時代とかもそうだったんだけど
俺リスペクトしてる人以外正直どうでもいいと
思ってる部分があって
どうでもいいってのはないがしろにしていいとか
そういう意味でなくて
関わる必要がないというか
価値観なんて究極いってしまえば
平行線なんだから
それだったらお互いいい距離とって
楽しくやっていきましょう的なね。
無理に戦争する必要はないと思ってんだ。
相手を不快にさせることも極力控えるべきだと思ってる。
そういうのは望んでないからね。
やむを得ない時はしょうがないけどね。笑
それでさ、
俺は好きな人と一緒にいたいわけ。
人間的にね。
男女問わずリスペクト出来る人間と一緒にいたいわけなんよ。
俺、こいつのここが大好きだわ!って
誰に対しても堂々と言えるようなさ。
だから俺の事嫌いな人は俺と関わらないでほしいし
俺の組織の中には1人も入れておきたくないんだな〜。
最近、特にその気持ちが強くなってきてるように思う。
まあ、当然といえば当然なんだけど。笑
今年の俺はちょっと我が侭にいこうかな。笑
自分主体でさ。
バランスがどうとか考えてるから
逆に変な事になったりするんかもね。
思った通りにさ、メチャクチャやってればさ
それが好きなやつは残って
嫌いなやつはついてこれなくなって
消えていくよな。
全員を大切にしようとすることは
全員をそんなに大切に出来ていなかったのかもしれない。
リスペクトし合える関係しか
今の俺には意味が無い。
俺を嫌う人は去ってくれていいと今は
はっきりそう思ってる。
そして残ったメンバーで何か楽しい事をしたいなってね。
数年前に「濃いメンバー」って言ってたのを思い出した。
そうそう、濃いメンバーを求めてんだ俺は。
そして女子メンバーに力を入れてた。
俺の人生半分くらい女性に助けられてるように思うんだわ。
しかも、「男嫌いの女性」に助けられる事が多い。
ありがたいこと!
女性の方が感性が合うんだよな。
なんか柔らかいというか優しいというか
女性は思いやりがある。
いや、それだけではなく計算高いところもあったり
弱いところもあったり男なんて到底勝てないと思うくらい
強いところがあったり色々!
色々だから面白いし飽きないしいい!!
女性が思う存分活躍出来る場所を作りたいな。
そしたらもっともっと楽しくなるし
世の中わくわくすることが多くなる!
女性の勢いって本当すごい。
見てて面白い。
とりあえず陰口言われるような関係性を作らない自分でありたい。
せめて自分の組織を通して出会った人くらいは。
自分の組織の中だけは。
全ては己の改善で解決出来るはず。
人のせいにせず
言い訳せずやっていこう。
心からリスペクトしてやまない人間と
テンション上がることやっていきたいな。
何が正しく何が間違ってるとか
正直俺はないと思ってんのね。
同性愛だろうが
障害者だろうが
ようは本人次第で
他のやつがどうこういうことじゃないと思うわけ。
何不自由なく生活してる人でも
腐ってる人はいるし
障害を抱えてる人だって
人一倍結果出してる人もいるし
ゲイの人だってレズの人だって
たまたま恋愛対象が同性なだけで
ただそれだけでしょ?
そしてそこに偏見を持つ人も俺は
ある意味自由だと思ってる部分がある。
同性を愛するのは自由なのに
同性愛者を差別する人はおかしいなんてのも
価値観の押し付けな気がしてね。
たまたま俺は偏見がないだけであってさ。
究極まで自分の視点をフラットに持って行きたいっていうのは
やっぱりどこかしらあんのね。
悟りたいというか、
自分なりの絶対的な答えを何事に対しても
もっていたいの。
そこには全て理由が存在して
未熟であろうがなんだろうが
俺の意見だと言えることをさ、
一つは用意しておきたいんだ。
全てをこうして書けるなんて思ってない。
色んな人がいるからね。
でもさ、本気で知りたい人は聞いてみてよ。
直接さ。
今、こういうので悩んでんだけどどう思いますか?とか
なんでもいいからさ。
なんかね、
学生時代とかもそうだったんだけど
俺リスペクトしてる人以外正直どうでもいいと
思ってる部分があって
どうでもいいってのはないがしろにしていいとか
そういう意味でなくて
関わる必要がないというか
価値観なんて究極いってしまえば
平行線なんだから
それだったらお互いいい距離とって
楽しくやっていきましょう的なね。
無理に戦争する必要はないと思ってんだ。
相手を不快にさせることも極力控えるべきだと思ってる。
そういうのは望んでないからね。
やむを得ない時はしょうがないけどね。笑
それでさ、
俺は好きな人と一緒にいたいわけ。
人間的にね。
男女問わずリスペクト出来る人間と一緒にいたいわけなんよ。
俺、こいつのここが大好きだわ!って
誰に対しても堂々と言えるようなさ。
だから俺の事嫌いな人は俺と関わらないでほしいし
俺の組織の中には1人も入れておきたくないんだな〜。
最近、特にその気持ちが強くなってきてるように思う。
まあ、当然といえば当然なんだけど。笑
今年の俺はちょっと我が侭にいこうかな。笑
自分主体でさ。
バランスがどうとか考えてるから
逆に変な事になったりするんかもね。
思った通りにさ、メチャクチャやってればさ
それが好きなやつは残って
嫌いなやつはついてこれなくなって
消えていくよな。
全員を大切にしようとすることは
全員をそんなに大切に出来ていなかったのかもしれない。
リスペクトし合える関係しか
今の俺には意味が無い。
俺を嫌う人は去ってくれていいと今は
はっきりそう思ってる。
そして残ったメンバーで何か楽しい事をしたいなってね。
数年前に「濃いメンバー」って言ってたのを思い出した。
そうそう、濃いメンバーを求めてんだ俺は。
そして女子メンバーに力を入れてた。
俺の人生半分くらい女性に助けられてるように思うんだわ。
しかも、「男嫌いの女性」に助けられる事が多い。
ありがたいこと!
女性の方が感性が合うんだよな。
なんか柔らかいというか優しいというか
女性は思いやりがある。
いや、それだけではなく計算高いところもあったり
弱いところもあったり男なんて到底勝てないと思うくらい
強いところがあったり色々!
色々だから面白いし飽きないしいい!!
女性が思う存分活躍出来る場所を作りたいな。
そしたらもっともっと楽しくなるし
世の中わくわくすることが多くなる!
女性の勢いって本当すごい。
見てて面白い。
とりあえず陰口言われるような関係性を作らない自分でありたい。
せめて自分の組織を通して出会った人くらいは。
自分の組織の中だけは。
全ては己の改善で解決出来るはず。
人のせいにせず
言い訳せずやっていこう。
心からリスペクトしてやまない人間と
テンション上がることやっていきたいな。
2014年2月12日水曜日
弱者の戦略。〜小さな実績をまず作る。〜
俺はいつも何もないところから
スタートしてきた。
楽遊会だってミクシイはじめて
ソッコウでまずコミュ立てて
それからどうするか考えてた。
行動しなければスタート地点にも立てないんだよな。
それでさ、
実績も何も無い、
コミュニティのメンバーも全くいない状態から
スタートしてどうやって結果を出すのか。
弱者はいつだって
軽くあしらわれるし不利な立場に
おかれることも少なくない。
そこに疑問を持ってもしょうがない。
世の中ってそういうものだから。
そこを変えようとするよりも
自分のアイデアで
不利を有利にチェンジする方法はないか
考える方が建設的。
話しを聞いてもらうには
相手にとっての圧倒的なメリットが必要。
弱者は「対等」ではダメなんだよ。
そんなぬるい事いってたら
いつまでも結果なんて出せない。
どんなことでもそうだけど
相手に自分が受け取る10倍の価値を
受け取ってもらうことを
最初は意識したらいいと思う。
そしてどんなに小さな実績でもいいから
数字でちゃんと実績を作り証拠を残す事。
映像でも写真でも文章でもメディアでもいいから。
何も無いところから何かを作る作業は
雪だるまを作る事と似てると思う。
小さな手のひらにおさまる程度の雪を丸めて
それを転がして大きくしていく。
だから、まず核となる手のひらサイズの雪、
これがないとスタートは出来ないわけなんよな。
この手のひらサイズの雪にあたるものが
小さな実績であったり
相手に10倍の価値を受け取ってもらうという
精神姿勢だったりするわけなんだけど。
まずは小さな実績を作るところから。
そしてブランディング。
価値を生み出し発信し評価してもらう事で
はじめて価値は数値化されると思ってる。
自分を最大限魅力的に見せる方法。。
現代ではSNS、ブログ、ホームページ等も使えて
動画や写真を効果的に使いより魅力的に
見せる事が出来るようになってる。
ソーシャルメディアの力を磨く事は
夢追い人全てに共通してお勧めする。
こんなに便利な時代は無い。
パソコンで誰でも自分の情報を発信出来る。
どこかに所属するよりも
俺は自分で自分の組織を立ち上げる事を
お勧めする。
でも、誰もがリーダーになれるわけではないので
自分自身はどういった性質の人間なのかを見極めて
最高の二番手を目指すのか
リーダーとして道無き道を切り開くのか
縁の下の力持ちとして活躍するのか
本領発揮出来る位置づけを目指すべき。
組織に属するなら
その組織の方向性やコンセプトに自分の夢は合うのか
考えてからの方がいい。
じゃないと全力を注げないしね。
メンバーはさておきリーダーに共感出来るかどうか。
それは大切。
グループや組織として
個人では作れないような実績をみんなで作るってのも
ありだと思う。
弱者の戦略、俺が意識してるのは
どんなに小さくてもいいから実績を作り
ブランディングに活かす事。
スタートしてきた。
楽遊会だってミクシイはじめて
ソッコウでまずコミュ立てて
それからどうするか考えてた。
行動しなければスタート地点にも立てないんだよな。
それでさ、
実績も何も無い、
コミュニティのメンバーも全くいない状態から
スタートしてどうやって結果を出すのか。
弱者はいつだって
軽くあしらわれるし不利な立場に
おかれることも少なくない。
そこに疑問を持ってもしょうがない。
世の中ってそういうものだから。
そこを変えようとするよりも
自分のアイデアで
不利を有利にチェンジする方法はないか
考える方が建設的。
話しを聞いてもらうには
相手にとっての圧倒的なメリットが必要。
弱者は「対等」ではダメなんだよ。
そんなぬるい事いってたら
いつまでも結果なんて出せない。
どんなことでもそうだけど
相手に自分が受け取る10倍の価値を
受け取ってもらうことを
最初は意識したらいいと思う。
そしてどんなに小さな実績でもいいから
数字でちゃんと実績を作り証拠を残す事。
映像でも写真でも文章でもメディアでもいいから。
何も無いところから何かを作る作業は
雪だるまを作る事と似てると思う。
小さな手のひらにおさまる程度の雪を丸めて
それを転がして大きくしていく。
だから、まず核となる手のひらサイズの雪、
これがないとスタートは出来ないわけなんよな。
この手のひらサイズの雪にあたるものが
小さな実績であったり
相手に10倍の価値を受け取ってもらうという
精神姿勢だったりするわけなんだけど。
まずは小さな実績を作るところから。
そしてブランディング。
価値を生み出し発信し評価してもらう事で
はじめて価値は数値化されると思ってる。
自分を最大限魅力的に見せる方法。。
現代ではSNS、ブログ、ホームページ等も使えて
動画や写真を効果的に使いより魅力的に
見せる事が出来るようになってる。
ソーシャルメディアの力を磨く事は
夢追い人全てに共通してお勧めする。
こんなに便利な時代は無い。
パソコンで誰でも自分の情報を発信出来る。
どこかに所属するよりも
俺は自分で自分の組織を立ち上げる事を
お勧めする。
でも、誰もがリーダーになれるわけではないので
自分自身はどういった性質の人間なのかを見極めて
最高の二番手を目指すのか
リーダーとして道無き道を切り開くのか
縁の下の力持ちとして活躍するのか
本領発揮出来る位置づけを目指すべき。
組織に属するなら
その組織の方向性やコンセプトに自分の夢は合うのか
考えてからの方がいい。
じゃないと全力を注げないしね。
メンバーはさておきリーダーに共感出来るかどうか。
それは大切。
グループや組織として
個人では作れないような実績をみんなで作るってのも
ありだと思う。
弱者の戦略、俺が意識してるのは
どんなに小さくてもいいから実績を作り
ブランディングに活かす事。
特技がないからといって自信を失う必要は無い。
特技や夢がないからといって
自信を見いだせない人って
世の中結構いると思うんです。
俺は運良くやりたい事も
普通の人よりは出来る事もいくつかある。
けど、それがえらいだとかすごいだとかは
全く思ってなくて
上には上がいるし果てしなくすごい人は存在してる。
自分に対しては少しくらい人より出来ることがあっても
結局一位じゃないと自慢出来ないと思ってるから 。
大切なのはさ、
スキルのジャンルやレベルじゃないと実は思ってて
本当の本当に大切なのは
自分が身につけたスキルが
人の役に現在たってるかどうかなんだよ。
人の役に立ててはじめて
「価値」があるということになる。
履歴書に書く為にとる資格とか
俺からしてみればマジどうでもよくて
じゃあ、そのスキルを使って社会や人に
どう貢献出来るのかって話しで
そういう話しが出来ないのは
ちょっとさみしい。
人に言われたから。。とか
みんながやってるから。。とか
そういうのもどうでもよくて
じゃあお前はどうなんだよって話し。
誰かの為に自分は何が出来るのか。
特別なスキルなんていらないよ。
おばあちゃんがさみしいと言えば
自分の事のようにお話しを聞いてあげられたり
つまらなそうな顔してる人を
笑わせられるだけでもいい。
誰かにとって
一日が終わる頃
「ああ、なんだか今日はいい日だったな。」
って思ってもらえるその一つの要素として
自分が存在してればそれでいいんだ。
自信を見いだせない人って
世の中結構いると思うんです。
俺は運良くやりたい事も
普通の人よりは出来る事もいくつかある。
けど、それがえらいだとかすごいだとかは
全く思ってなくて
上には上がいるし果てしなくすごい人は存在してる。
自分に対しては少しくらい人より出来ることがあっても
結局一位じゃないと自慢出来ないと思ってるから 。
大切なのはさ、
スキルのジャンルやレベルじゃないと実は思ってて
本当の本当に大切なのは
自分が身につけたスキルが
人の役に現在たってるかどうかなんだよ。
人の役に立ててはじめて
「価値」があるということになる。
履歴書に書く為にとる資格とか
俺からしてみればマジどうでもよくて
じゃあ、そのスキルを使って社会や人に
どう貢献出来るのかって話しで
そういう話しが出来ないのは
ちょっとさみしい。
人に言われたから。。とか
みんながやってるから。。とか
そういうのもどうでもよくて
じゃあお前はどうなんだよって話し。
誰かの為に自分は何が出来るのか。
特別なスキルなんていらないよ。
おばあちゃんがさみしいと言えば
自分の事のようにお話しを聞いてあげられたり
つまらなそうな顔してる人を
笑わせられるだけでもいい。
誰かにとって
一日が終わる頃
「ああ、なんだか今日はいい日だったな。」
って思ってもらえるその一つの要素として
自分が存在してればそれでいいんだ。
2014年2月4日火曜日
続。
人間的なレベルについてよく考えます。
僕の場合、今もじゅうぶん愚かだと思いますが
若い時はもっともっと愚かでした。
誰の言葉も届かない程に。
色んな 経験をし上辺や表面だけではなく
「根本」から変わろうと思ったのです。
それから人間的なレベルはあがっていったように思います。
表面上だけうまくやろうとするあざといやつのやり口は
意外と見破られています。
何故なら、僕を例に言えば
僕自身が昔あざといやつだったから。
気持ちもわかるし、心理状態もわかるのです。
だから、相手が表面上隠したつもりでいても
はっきり見えてしまう事があります。
そんなときは、笑えません。笑
極論として
表面上、上手く出来るように見せることや
自分を大きく見せることには何の意味もない。
自分よりもレベルの低い人は騙せても
レベルの高い人は騙せないのだから。
それよりは不器用でも一生懸命生きている人の方が
かわいらしいし好き。
僕が理想として考えていた「自由な国」というのは
一つ落とし穴があることに気付きました。
その国に住む住人が全員
一定以上のレベルじゃないと成立しないということ。
悪口や噂好き、口が軽いやつは
トラブルしか生まない。
そんなやつは火の無いところに
ケムリをたてるんだよね。
それで相対的に自分を優位な位置に
持っていこうとする。
そんなやつがいたら何やってもうまくいくはずがない。
生まれてきた芽を枯らせるような人間が
一人でもいれば成立しない。
そのことに気付いた。
誰にでも見返りを求めずその人に友達が出来ますように。と
行動してきても結局妬みかなにかわからないけど
わけのわからない噂を流したりする人がいれば
組織だってうまくいかなくなる。
まさに百害あって一利無し。
嫌われる人には嫌われる理由がある。
友達がいない人には友達がいない理由がある。
その理由を無視して友達を作ってあげようと
していたのかもしれない。
その結果何度裏切られてきただろう。
全部「いいよ、いいよ」で済ませてきた。
それが美徳であり器だと思っていたから。
しかし、甘やかす事は堕落した人間しか
生み出さないのかもしれない。
甘えた気持ちが恩を忘れさせ
影で恩を受けた人の悪口を言わせるのであれば
それは断つべき。
自分のことはいい。
俺は確かに適当な人間だし
どうしょうもない部分もある。
けど、仲間の悪口やうわさ話を
面白おかしく影でやってるやつは
俺の組織には必要ないな。
他人は他人、自分は自分でしょ。
人の事はどうでもいい。
自分がしっかりしてればいいだけでしょ。
人を批判する時間があるなら
自分を磨く時間にあてたほうがいい。
尊敬出来る間柄じゃないと
仲間とは言えないな。
日々勉強だな。
どこかで全ての人を救えるような人間に
なりたいと思っていたんだ。
でも、愚かなまま救われたいと思う人間にまで
手を差し伸べる余裕は自分にはないのかもしれないと思った。
俺だって完璧な人間ではない。
だから成長したいと望みその為に行動をしてる。
同じように現在、どんな人間的レベルであっても
成長を望む奴らとは共に生きたい。
しかし、成長を止め愚痴ばかり言い
現状に満足し人を批難し
足を引っ張り人に自信をなくさせるような人に
使う時間や労力はない。
俺には一緒に成長したい仲間がたくさんいる。
自分の事を後回しにしてでも
人を想いやれる心を持った仲間がいる。
そいつらにもっと集中して時間を使いたいと思った。
人はいつか、離れていくかもしれない。
今、慕ってくれている人達も
もしかしたらいつか捨て台詞を吐いて
消えるかもしれない。
それでも今俺がそいつらを好きなのなら
全力でやればいいだけだよな。
それが本当に見返りを求めないということだよな。
後の事はわからんよ。
今後どうなるかなんて知らん。
けど、どうしょうもなく人間を愛しく思う気持ちが
生まれることがある。
丸い気持ちになれることがあるよ。
俺は思った。
俺が関わりたい人と関わろうと。
なんだかすごく当然な事のようだけど
俺にとってはなかなかたどり着けなかったんだ。
昔は当たり前に出来てたはずなのに。
そして俺を慕ってくれる人を仲間におこうと。
これも当然で俺の事を嫌いな人を
無理に引き止める必要も無いし
居てもらう理由も無い。
だから、俺の事を嫌いな人は
俺の組織に残り悪口を言い続ける必要もなくなる。
俺の悪口を言ってる人が居て
悪口を言わせてしまってるのは俺だと思ってる。
だから申し訳ないなと。
本人も苦しんだだろう。
それを理解してほしくて伝えているのだろう。
そんなマイナスな感情からは
解放されたほうがいい。
そして関わらないのが一番いい。
人生において誰と関わるかなんてじゆうなんだから。
なおきちの組織に所属するメリットは受けたい、
でもなおきちは嫌い。
もしそんな人がいるのであれば
自分で組織を立ち上げる事をお勧めする。
そこでどんなメリットだって生み出せばいいし
自分のルールでやればいい。
俺は俺の組織の中で自分のルールでやってるだけだから。
この10年人を許す事を練習してきた。
どうしても人を許すのが苦手だった。
だから、なんでもオッケーっていうキャラできた。
その結果、だいぶ心はゆるくなったけど
そのゆがみが出てきてる。
昔の俺だったらすぐに噛み付いて
なめられることはなかった。
その代わりとっつきにくかっただろうね。
今の俺はほとんどの事は「いいよ、いいよ」で済ますけど
調子に乗るやつもいるしなめられる。
なかなかバランスよくは出来ないものだ。
利用してやろうという人間は顔にそう書いてある。
俺が見返りを求めないのをいいことに
言いたい放題の人もいる。
どれだけ時間と労力を使っても
言い訳ばかりして先に進まない人もいる。
その人達は最初からそうだったんだ。
自分がわかってて首を突っ込んでんだから
その人達が悪いとも思わない。
ただ、勉強した。
人間とは扱いづらい生き物だ。
自分自身に対してよく思う。
我が侭で貪欲でどうしょうもない。
自分の意見は貫きたい、
でも努力はしません。
反対意見は出します、
けど、建設的なアイデアは出しません。
なんて人はざらにいる。
昨日言ってた事を今日覆す人だっているし
何を信じて何を疑えばいいのかなんて
わからないよね。
そんな中で
人を責めずに自分を改善することで解決出来ないだろうかと
考えついた。
ほとんどの場合、相手がどれだけ悪く思えても
自分の人間的なレベルが高ければ
防げたりするように思う。
なにごとも言い訳にはならない。
相手を責めるより自分が成長しようとよく思う。
人に期待しない。
とても冷たいように感じるけれど
人に期待してしまうとイライラすることが多いのも事実。
自分は自分のやるべきことをきちんとしていれば
それでいいだけだ。
人が出来ていない事を無理に責める必要は無い。
その人にはその人のスタンスがあるのだから。
自分にだって未熟な部分があるよね?
だから、お互い様なんだ。
あまり辛辣なことは書きたくない。
自分の心も少し不安定になるしね。
しかし、ちょっと自分を変えないといけないと
直感が言ってる。
居心地が良すぎるくらいの人間を目指してたけど
それだけではきっとダメなんだ。
また成長しよう。
様々な価値観を吸収して
思考の習慣を変えよう。
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