チーム、組織の事を考える時
いつも音楽のバンドをイメージする。
バンドってさ
誰か一人でも下手なやつがいたら
そのバンド自体のクォリティも
一番下手な人のところに
設定されてしまうんだよね。
だから誰とどんな音楽をやるかって
大切だと思ってる。
上手な人が揃ったバンドに所属出来ても
自分が一番下手だったら
そのバンドはそこまでのバンドなわけだ。
すごいバンドを見てるとさ
各自が全速力で走ってるように
俺には見える。
全力でなりふり構わず走ってるんだけど
同じメンバーと全く同じ速度なんだよね。
だからこそカッコいいんだ。
本当はここまで出来るけど
それやっちゃうと他のやつがついてこれない。。
なんて考えながらやってたら
そりゃ最高の力なんか出せないよな。
スキルが高いだけがバンドではないとは思ってる。
しかし、なんらかの個性は必要だし
個性的なメンバーをバックグラウンドで支える為にも
スキルは必要なんだよな。
全速力で疾走するようなバンドを見たいし
そんな組織を夢見ている。
2014年3月19日水曜日
2014年3月17日月曜日
偏る勇気。
思えば平均的に馬鹿にされないように
失敗しないように能力を伸ばしてきた気がする。
好きな事は時間を感じないくらい集中するから
ほっといても上達したんだ。
最低ラインを伸ばす努力というのは
とても単調だ。
人を傷つけてしまわないため、
自分の身を守るため
内面からちゃんとしようと思って
成長を続けてきた。
その結果、昔の自分とは
比べ物にならないくらい成長は
出来たと思う。
それはそれでいい事だとは思ってる。
しかし、同時に平均的な人間になったなぁ。。
という自覚もある。
思考をフラットにしてんだから
当然ではあるんだけどね。
ん〜。。もちろんね、それはそれでいいんよ。
自分が望んだ事だから。
でも最近どこか物足りなさを感じてるのも事実。
な〜んか、中途半端だなってさ。
内面の話しでいうと
もっともっと崇高な人って世の中にたくさんいると思うんだよね。
俺が逆立ちしたってたどり着けないような人。
どの世界にもいるじゃん。
神?天才?って人。
そういう人と勝負したいなら
毎日、一生の時間を使っていくしかない。
そもそも本当に好きなものじゃないと
そんなに時間を使う事すら難しい。
もうちょっと肩の力を抜いてみようかな。
何をやっても批判と賛同はあると思うんだよね。
もともと偏った人間だったから
それがコンプレックスで
なんか自分ちんちくりんだなって思って
直そう、改善しよう、努力しよう。。で
結果平均に近づいた。
ほら、お仕事とかでもさ
平均的になんでもこなせる人と、
ダメなとこもたくさんあるけど
この分野だけは安心して任せる事が出来るっていう人
どっちが重要?って聞かれたら後者だと思うんだよね。
平均的になんでもこなせる人も大切だと思うけど
そういう人だけでは平均的な結果しかだせないんだよな。
中にメチャクチャ偏ってるけど
こいつがいるからまわるんだよな。。っていうやつがいるから
組織全体の平均点はあがるんだと思う。
とくにリーダーや代表っていうのは
偏ってなければならないのかもしれないと
ちょっと最近思ってきた。
逆だと思ってた。
誰にでもフラットに接することが大切なんだと思ってたけど
ほら、社長とか代表とかリーダーって呼ばれる人って
個性的でちょっと変な人多いじゃん?笑
我が強い人も多いし。
だからこそ成立するし、
そうじゃないと難しいんだと思った。
尖ってれば尖ってる程いい。
偏ってれば偏ってる程いい。
その何をも恐れない鋭い感覚に
人々はついていくのかもしれないと思った。
文字通り刺さらなければ人は動かない。
一つに特化する。
なんでも出来ますよっていうのは
大した魅力ではない。
いくつ出来るかが大切なのではなく
どのレベルで出来るかが大切なんだ。
高いクォリティで出来る事が一つあれば
どれだけ偏った人間でも害がなければ
問題ないのかもしれない。
需要のある自分が出来る事を
伸ばしていく事が大切かな。
あとはやっぱキャラも大切なんよな。
キャラってはっきり個性が出てることだと思うんだよね。
個性って好き嫌いを明確化して
わかりやすい事が大切だと思ったんだよね。
嫌いな物を批判するという意味ではなく。
無駄な批判は絶対よくない。
自分が関わらないでいいものを明確にするという事が
大切なんよな。
嫌いな物をどうこうする為ではなく
好きな物に特化する為に明確化したほうがいいと感じた。
天才と同等の力を発揮するには
個人では難しくともチームで戦えば
いけることもあると思ってる。
チームを組織するには
まずは代表がどんな基準でどんな思考なのかが
とても大切。
それによって集まる人間、
残る人間が違ってくるのだから。
チーム自体が目的に特化する必要があるのだから
リーダーはその目的に誰より特化していれば
少々偏っていてもいいんじゃないかと感じた。
それを理由に努力を怠ろうとしているわけではなく
力の入れ方、配分を間違わないようにしないといけないと
感じたので残しておこう。
失敗しないように能力を伸ばしてきた気がする。
好きな事は時間を感じないくらい集中するから
ほっといても上達したんだ。
最低ラインを伸ばす努力というのは
とても単調だ。
人を傷つけてしまわないため、
自分の身を守るため
内面からちゃんとしようと思って
成長を続けてきた。
その結果、昔の自分とは
比べ物にならないくらい成長は
出来たと思う。
それはそれでいい事だとは思ってる。
しかし、同時に平均的な人間になったなぁ。。
という自覚もある。
思考をフラットにしてんだから
当然ではあるんだけどね。
ん〜。。もちろんね、それはそれでいいんよ。
自分が望んだ事だから。
でも最近どこか物足りなさを感じてるのも事実。
な〜んか、中途半端だなってさ。
内面の話しでいうと
もっともっと崇高な人って世の中にたくさんいると思うんだよね。
俺が逆立ちしたってたどり着けないような人。
どの世界にもいるじゃん。
神?天才?って人。
そういう人と勝負したいなら
毎日、一生の時間を使っていくしかない。
そもそも本当に好きなものじゃないと
そんなに時間を使う事すら難しい。
もうちょっと肩の力を抜いてみようかな。
何をやっても批判と賛同はあると思うんだよね。
もともと偏った人間だったから
それがコンプレックスで
なんか自分ちんちくりんだなって思って
直そう、改善しよう、努力しよう。。で
結果平均に近づいた。
ほら、お仕事とかでもさ
平均的になんでもこなせる人と、
ダメなとこもたくさんあるけど
この分野だけは安心して任せる事が出来るっていう人
どっちが重要?って聞かれたら後者だと思うんだよね。
平均的になんでもこなせる人も大切だと思うけど
そういう人だけでは平均的な結果しかだせないんだよな。
中にメチャクチャ偏ってるけど
こいつがいるからまわるんだよな。。っていうやつがいるから
組織全体の平均点はあがるんだと思う。
とくにリーダーや代表っていうのは
偏ってなければならないのかもしれないと
ちょっと最近思ってきた。
逆だと思ってた。
誰にでもフラットに接することが大切なんだと思ってたけど
ほら、社長とか代表とかリーダーって呼ばれる人って
個性的でちょっと変な人多いじゃん?笑
我が強い人も多いし。
だからこそ成立するし、
そうじゃないと難しいんだと思った。
尖ってれば尖ってる程いい。
偏ってれば偏ってる程いい。
その何をも恐れない鋭い感覚に
人々はついていくのかもしれないと思った。
文字通り刺さらなければ人は動かない。
一つに特化する。
なんでも出来ますよっていうのは
大した魅力ではない。
いくつ出来るかが大切なのではなく
どのレベルで出来るかが大切なんだ。
高いクォリティで出来る事が一つあれば
どれだけ偏った人間でも害がなければ
問題ないのかもしれない。
需要のある自分が出来る事を
伸ばしていく事が大切かな。
あとはやっぱキャラも大切なんよな。
キャラってはっきり個性が出てることだと思うんだよね。
個性って好き嫌いを明確化して
わかりやすい事が大切だと思ったんだよね。
嫌いな物を批判するという意味ではなく。
無駄な批判は絶対よくない。
自分が関わらないでいいものを明確にするという事が
大切なんよな。
嫌いな物をどうこうする為ではなく
好きな物に特化する為に明確化したほうがいいと感じた。
天才と同等の力を発揮するには
個人では難しくともチームで戦えば
いけることもあると思ってる。
チームを組織するには
まずは代表がどんな基準でどんな思考なのかが
とても大切。
それによって集まる人間、
残る人間が違ってくるのだから。
チーム自体が目的に特化する必要があるのだから
リーダーはその目的に誰より特化していれば
少々偏っていてもいいんじゃないかと感じた。
それを理由に努力を怠ろうとしているわけではなく
力の入れ方、配分を間違わないようにしないといけないと
感じたので残しておこう。
2014年3月15日土曜日
エーテルを探しに。
光を伝えるため
この世界を隙間なく
埋め尽くされていると信じられていた
エーテルという存在。
こういう過去の価値観みたいなものはとても好きだ。
今では廃れてしまっているが
当時の人達は本気でそうなのだと信じていた。
なんだかそんな時代がひどく愛しくなる。
僕はひねくれものなので
世界が捨てた価値観を愛する事もある。
概念が好きだからだ。
その中でもエーテルというものが好きだ。
この世界に光を伝え届ける為に
必要と思われていたもの。
隙間なくエーテルで満たされている世界。
何もないと思っていたすぐそこの景色は
本当は満たされていたのだと
初めて知った人々は
どんな気持ちになっただろう。
その瞬間の事を時々考える。
僕が知り得るはずもない瞬間の事を。
なんだかとても愛しく感じる。
子供は窓の外を眺め
大人は仕事の合間に町並みを眺めている。
そんな架空の世界を思い描いては
わくわくする。
実際には子供がそんな概念に興味を持つ事は
稀だろうし大人もそれどころではないとは思う。
けど、そんなことはどうでもよくて
自分の中のパラレルワールドは
いつもそんな感性を持った人達が
登場するのだ。
現実の世界は時に厳しく難しい。
しかし、それが楽しくもある。
何故なら全ては自分の力で変化させる事が
出来るからだ。
勝手に想像する世界とはまた違った楽しさがある。
僕が写真を撮るのは
ファインダーの向こう側に時々
イメージする世界を見る事が出来るからだ。
肉眼では到底見る事の出来ない世界。
コントラストもデタラメで
光だって丸くなったりするんだよ?
すごいすごい。
向こう側の世界を覗くのに
高いカメラは必要ない。
しかし、どんな世界を覗きたいかによって
カメラやレンズは違ってくるな。
僕が勝手に持つイメージの世界と同様に
現在は写真も我が侭に加工してしまう事が
出来るよね。
何が正しくて何が間違ってるなんてないんだ。
好きにやればいい。
いつか、ファインダーの向こうに
エーテルを捕まえたい。
満たしてる物だから
捕まえるって少し違うのかもしれないけれど
そんなふうに思う。
どこにもない世界は
案外いつも目の前にあるのかもしれない。
この世界を満たすエーテルのように。
この世界を隙間なく
埋め尽くされていると信じられていた
エーテルという存在。
こういう過去の価値観みたいなものはとても好きだ。
今では廃れてしまっているが
当時の人達は本気でそうなのだと信じていた。
なんだかそんな時代がひどく愛しくなる。
僕はひねくれものなので
世界が捨てた価値観を愛する事もある。
概念が好きだからだ。
その中でもエーテルというものが好きだ。
この世界に光を伝え届ける為に
必要と思われていたもの。
隙間なくエーテルで満たされている世界。
何もないと思っていたすぐそこの景色は
本当は満たされていたのだと
初めて知った人々は
どんな気持ちになっただろう。
その瞬間の事を時々考える。
僕が知り得るはずもない瞬間の事を。
なんだかとても愛しく感じる。
子供は窓の外を眺め
大人は仕事の合間に町並みを眺めている。
そんな架空の世界を思い描いては
わくわくする。
実際には子供がそんな概念に興味を持つ事は
稀だろうし大人もそれどころではないとは思う。
けど、そんなことはどうでもよくて
自分の中のパラレルワールドは
いつもそんな感性を持った人達が
登場するのだ。
現実の世界は時に厳しく難しい。
しかし、それが楽しくもある。
何故なら全ては自分の力で変化させる事が
出来るからだ。
勝手に想像する世界とはまた違った楽しさがある。
僕が写真を撮るのは
ファインダーの向こう側に時々
イメージする世界を見る事が出来るからだ。
肉眼では到底見る事の出来ない世界。
コントラストもデタラメで
光だって丸くなったりするんだよ?
すごいすごい。
向こう側の世界を覗くのに
高いカメラは必要ない。
しかし、どんな世界を覗きたいかによって
カメラやレンズは違ってくるな。
僕が勝手に持つイメージの世界と同様に
現在は写真も我が侭に加工してしまう事が
出来るよね。
何が正しくて何が間違ってるなんてないんだ。
好きにやればいい。
いつか、ファインダーの向こうに
エーテルを捕まえたい。
満たしてる物だから
捕まえるって少し違うのかもしれないけれど
そんなふうに思う。
どこにもない世界は
案外いつも目の前にあるのかもしれない。
この世界を満たすエーテルのように。
2014年3月2日日曜日
続・我が道を行く。
ここ数日間映像を編集し続けて我が道を行くということを
少し思い出した。
昔の映像の自分の喋り方とか
立ち振る舞いとかマジでイライラするんだけど!笑
でも大切なのはそれでも人が
集まってくれていたということなんだよね。
全ての人を大切にしたいといつの頃からか
考えるようになってた。
けど実際はさ、
こっちを立てればあちらが立たず。。ということになるわけ。
全員と仲良くする事ってまず無理なんだなというのが
ここ数年の答え。
だったら結局好きな人達とワイワイするしかないでしょ!◎
合わない人も合う人も
極力同じように接してきたつもり。
それがいいことだと思っていたから。
でもな、それ多分違うな、こりゃ。
俺が相手を尊重しているのは
俺の心の中での話しだし
それが相手に伝わっているとは限らない。
どれだけ相手を大切にしても
俺に失望する人もおるじゃろうしね。
相手が俺に過剰な期待をしてしまうのも
結局は俺がフラットに接してるから
なのかもしれない。
本当は俺はすごく自己中心的な人間なわけなんだけど
表面上だけではなく根本から変わり
人間的に尊敬されるような人になろうと思い
行動してきたんよね。
たくさん本を読んだり
実際にたくさんの人と会いコミュニケーションをとってきた。
ここ数年、どんどん考え方はフラットに
なっていったように思う。
でもちょっと待てよと。
フラットに考えるってことは
結局平べったく考えるということなのか?
平均的に人を見て
平均的に人と接する事なのか?
もともと差別はしない方。
偏見は少なからずあるだろう。
でも、理由も無くっていうのはない。
自分が気に入ってる人と
そうじゃない人で態度が違うのは
当然の事だし
会う頻度が違うのも当然なことだろう。
親友と知人で会いたいと思う頻度が同じな人は
そういないはず。
しかし、ここ数年
一部の人間と個人的に遊ぶということは
楽遊会の他のメンバーから
「なんで誘ってくれんの?」
って言われそうで控えてた部分もある。
でもそんなことしてたら
俺は一生友達なんて出来ないよね。笑
なんかね〜、
無意識のうちに自分を閉じ込めて
自分が不幸になってもいいから
周りを輝かせたいと
思っていたように思う。
何回も書いた事あると思うけど
結局楽遊会って
俺が人から理解されなくとも
好きな事をやる場所だったんだよね、
はじめは。
それなのにたくさん人が集まってくれだしたら
離れていってほしくないからって
媚び売ってたような気がする。
楽遊会の最初のほうなんてメチャクチャだった。
それでも個性的な人達が支えてくれてた。
俺が当たり障りのないような事を
言い出せばそりゃあ、離れていっても
しょうがないと思うし、
俺も俺でこうだと思ったら
誰のいうことも聞かない。
結局なにしてんだよって思う時もある。
俺が目立ってなんぼだろうが!って。笑
人に中心譲ってんじゃね〜よって。
なんかすごくバカバカしく思えてね。
今、このタイミングで
過去の映像を編集したりしてるのも
きっとこういう気付きをこのタイミングで
知るためだったんだ。
そして過去のメンバー、雰囲気を見てやはり思った。
俺は欠陥があろうが批判されようが
俺でなければならないのだと。
少なくとも楽遊会の中ではね。笑
もともと刺激の強い事が好きだから
今の時代でやりたいことやると
危ないかもしれんけど。笑
でも、突き抜ければきっと
笑ってくれる人も出てくるかな。
中途半端が一番いけんわ。
ちょっと、フラットな自分を
もう一度封印してみようか。。なんて思ってる。
そんなこと出来るのかどうなのかわかんないけど
そうしてみたいなって。
個人的な価値観で善し悪し
好き嫌いを選んだらどうなるんだろうって。
心の奥底にフラットな考えは
染み付いてる。
さっきも書いたけどもともと偏見とか
差別ってのはないほうなんよ。
ホームレスも同性愛も障害者もオッケー!
ただ、そのぶん人間性は見るよ!
全ては内面よ。
関わるかどうかはね。
外見が美しい人は大好き!
でも内面が腐ってたら消えろよって思う。
一緒におって不快になるわな。
表面だけ取り繕ってるのが
バレバレな人も笑えない。
楽遊会はもともと独裁国家なんだよね。笑
だから成立してた部分が大きい。
俺がいいって言ってんだからいいんだよ!
で、やってた。
だから常識とかが入る余地がなくて
よかったんだよ。
常識とかけ離れた判断をするとね、
それはすぐ批判に繋がる。
そのことも知ってる。
だからいつからか守りに入ってたんかな。
常識的な組織なんてそこらじゅうに
いくらでもあるわ。
俺がやらんでもええよな、そんなこと。
ロケット花火で服を焦がすくらい
体はってるメンバーに
下ネタを絡ませながら大笑いする
最低で最高なのが楽遊会だったよな。笑
大人になりきれない大人が
夜な夜な集まって
どうしょうもない話しを一晩中する
そういうのが楽遊会だった。
ちょっと健全すぎるかもしれんね、最近は。
もともと俺自体社会不適合者みたいな人間なんだからさ
愛想笑いじゃ何も生み出せないんだよ。
誰の居場所も生み出せない。
自分のさえね。
俺は俺らしくあることが仕事だと考えよう。
自分の行動を制限するのが自分の組織だとしたら
それはただの不幸だ。
なんのためにやってんだよ。
腹から笑えるようなことするためだろ?
仲良しごっこするためじゃないだろ。
崇高な目的もいいけど
目の前のメンバーと楽しめなくて
何が社会貢献だよ!
ってね。笑
じぶんじしんにそう思うわ。笑
自己中心的にいこう!!笑
なかなか見ない宣言だよね。笑
何事も長所であり短所であるなら
振り切るまでやる!
そしたら何か見えてくるんじゃないかな。
平均的な事やってれば批判もないだろ。
でもさ、そんなことに意味なんてないんだよ。
ただいたずらに時間を浪費してさ。
無難な人を集めてなんになるっていうんだよ。
風俗嬢歓迎!
キャバ嬢歓迎!
同性愛者歓迎!
めんどくさい男お断り!
ネチネチしてる人お断り!
恩知らずお断り!
でええじゃん。笑
リスカしてようがどうしようが
そんなことは関係ない。
面白い人間ならそれでよし!だろ。
俺がええって言ってんだからいいんだよ◎
それでついてこれない人はついてこれなくていいです!と。
組織ってそういうもんだよね。
ちょっと極端ではあるけど
方針や理念に疑問を持ったり
ついていけないと思ったなら
組織を批判するのではなく
自分が去ればいいだけのこと。
ちょっと幅広く受け入れすぎたのかもしれない。
俺と価値観が合わない人を大量にいれても
俺についてきてくれるメンバーが
不快になるだけなんだよな。
様々な価値観が入り乱れると
マイナスな価値観が残っていく。
誰か一人でも大嫌いなメンバーがいれば
組織から大切なメンバーが去っていくということも
よくわかった。
だからこそ無駄にメンバーが多いのって
リスクも高くなるってことなんだよな。
組織の方針の段階で
ある程度ふるいにかけておかないと
大変なことになる。
あと、恋愛するのは自由だけど
男のせいで女性メンバーが
いなくなるのは防ぎたい。
積極的に女性メンバーの位置づけは
守っていかんとね〜。
俺が必要だと思えば女性を優先にすることも
出てくるだろうね。
当然だけど。
今年から方針を変えよう変えようと
思ってたけどなかなか動き出せなかった。
けど、それは色んなバランスを考えてのことだった。
以前、楽遊会は第二世代から第三世代に
変わります!みたいなことを言って
常連さんに「おい!」っていわれたことがあった!笑
でもそれくらい自分の中で
ガラッと勢いつけないと
出来ない事も正直あるんだよね。
俺が保守的ってどうなん。
絶対ありえんだろ!笑
常に革新的でないと楽遊会無理だわ。
かなり偏ってもいいからやろう。
映像って偉大だな。
写真ではその頃の会話とかは
残らない。
雰囲気だけ残すからいいという考えもあるだろうけど
俺は違うな。
音声も会話の内容も残ってるほうがいい!
しかし、編集はしないとダメだね。笑
面白くないとこはカットしないと!笑
また、それが出来るから映像はいいね◎
まさに思い出は美しく!!◎
楽しく美しく残るなら最高じゃん♪
数年後に編集した物を
みんなで見たり出来たらええよな。
オフ会の映像だけで30個くらいは
残ってた!
これは財産だな。
その他プライベートでメンバーと
遊びに行ったり
弾き語りメインの頃の仲間とかも
残ってたり。
その時の声、会話、雰囲気
そのまま残ってる。
もう二度と同じようには戻れない
前の家の映像とかもな、あるんよな。
2004年の映像があるということは
10年前から俺はずっと映像の可能性を
大切にしてきた。
手元に見つからないからあれだけど
2004年より前にも
ビデオカメラ使ってた記憶があるから
実際にはもうちょっと前からか。
意識してなければ10年前の映像なんて絶対残ってない。
逆にこれから10年経ったときに
現在の映像が残るかどうかは今の自分にかかってるんよね。
うん、間違ってなかった。
これからも我が道をいこう。
結局正しかったかそうじゃなかったかなんて
やってみないとわかんないんだから。笑
だとしたら保守的になって
縮こまってるより
100回失敗して
1回大成功したらええよな◎
世界にはもう数えきれないくらい人間がおる。
思っただけの人間を集められないなら
それは確実に自分が至らないせいだ。
街に出ればいくらでも人はいるわけだし
その人達の財布の中にはお金もある。
だからビジネスがうまくいかないっていうのも
ただの言い訳にしかならないんだよね。笑
人の心が動くか動かないか。
動かせるか動かせないか。
そこだよね。
全力でやっても動かせるかわかんないのに
自分という人間の持てる力を総動員させないと
無理だろ。
だとしたら、長所とか短所とか
なりふり構ってる場合じゃない。
圧倒的な長所(メリット)を
ニッチな価値観のもちぬしにでも
感じてもらえればそれは強いわな。
常識にとらわれてる人とか
細かい事を気にする人は俺は無理だから
そういう人に関わらずにいこう。
それが相手の為でもある。
どうしても関わらなければならない場合は
こちらが譲ろう。
相手を不快にさせたくはないし
自分が正しいなんて思ってはいないから。
人間なんて
何が正しくて正しくないなんて
本来ないよ。
だからこそ再び、引き続き、
我が道をいこうと思う。
少し思い出した。
昔の映像の自分の喋り方とか
立ち振る舞いとかマジでイライラするんだけど!笑
でも大切なのはそれでも人が
集まってくれていたということなんだよね。
全ての人を大切にしたいといつの頃からか
考えるようになってた。
けど実際はさ、
こっちを立てればあちらが立たず。。ということになるわけ。
全員と仲良くする事ってまず無理なんだなというのが
ここ数年の答え。
だったら結局好きな人達とワイワイするしかないでしょ!◎
合わない人も合う人も
極力同じように接してきたつもり。
それがいいことだと思っていたから。
でもな、それ多分違うな、こりゃ。
俺が相手を尊重しているのは
俺の心の中での話しだし
それが相手に伝わっているとは限らない。
どれだけ相手を大切にしても
俺に失望する人もおるじゃろうしね。
相手が俺に過剰な期待をしてしまうのも
結局は俺がフラットに接してるから
なのかもしれない。
本当は俺はすごく自己中心的な人間なわけなんだけど
表面上だけではなく根本から変わり
人間的に尊敬されるような人になろうと思い
行動してきたんよね。
たくさん本を読んだり
実際にたくさんの人と会いコミュニケーションをとってきた。
ここ数年、どんどん考え方はフラットに
なっていったように思う。
でもちょっと待てよと。
フラットに考えるってことは
結局平べったく考えるということなのか?
平均的に人を見て
平均的に人と接する事なのか?
もともと差別はしない方。
偏見は少なからずあるだろう。
でも、理由も無くっていうのはない。
自分が気に入ってる人と
そうじゃない人で態度が違うのは
当然の事だし
会う頻度が違うのも当然なことだろう。
親友と知人で会いたいと思う頻度が同じな人は
そういないはず。
しかし、ここ数年
一部の人間と個人的に遊ぶということは
楽遊会の他のメンバーから
「なんで誘ってくれんの?」
って言われそうで控えてた部分もある。
でもそんなことしてたら
俺は一生友達なんて出来ないよね。笑
なんかね〜、
無意識のうちに自分を閉じ込めて
自分が不幸になってもいいから
周りを輝かせたいと
思っていたように思う。
何回も書いた事あると思うけど
結局楽遊会って
俺が人から理解されなくとも
好きな事をやる場所だったんだよね、
はじめは。
それなのにたくさん人が集まってくれだしたら
離れていってほしくないからって
媚び売ってたような気がする。
楽遊会の最初のほうなんてメチャクチャだった。
それでも個性的な人達が支えてくれてた。
俺が当たり障りのないような事を
言い出せばそりゃあ、離れていっても
しょうがないと思うし、
俺も俺でこうだと思ったら
誰のいうことも聞かない。
結局なにしてんだよって思う時もある。
俺が目立ってなんぼだろうが!って。笑
人に中心譲ってんじゃね〜よって。
なんかすごくバカバカしく思えてね。
今、このタイミングで
過去の映像を編集したりしてるのも
きっとこういう気付きをこのタイミングで
知るためだったんだ。
そして過去のメンバー、雰囲気を見てやはり思った。
俺は欠陥があろうが批判されようが
俺でなければならないのだと。
少なくとも楽遊会の中ではね。笑
もともと刺激の強い事が好きだから
今の時代でやりたいことやると
危ないかもしれんけど。笑
でも、突き抜ければきっと
笑ってくれる人も出てくるかな。
中途半端が一番いけんわ。
ちょっと、フラットな自分を
もう一度封印してみようか。。なんて思ってる。
そんなこと出来るのかどうなのかわかんないけど
そうしてみたいなって。
個人的な価値観で善し悪し
好き嫌いを選んだらどうなるんだろうって。
心の奥底にフラットな考えは
染み付いてる。
さっきも書いたけどもともと偏見とか
差別ってのはないほうなんよ。
ホームレスも同性愛も障害者もオッケー!
ただ、そのぶん人間性は見るよ!
全ては内面よ。
関わるかどうかはね。
外見が美しい人は大好き!
でも内面が腐ってたら消えろよって思う。
一緒におって不快になるわな。
表面だけ取り繕ってるのが
バレバレな人も笑えない。
楽遊会はもともと独裁国家なんだよね。笑
だから成立してた部分が大きい。
俺がいいって言ってんだからいいんだよ!
で、やってた。
だから常識とかが入る余地がなくて
よかったんだよ。
常識とかけ離れた判断をするとね、
それはすぐ批判に繋がる。
そのことも知ってる。
だからいつからか守りに入ってたんかな。
常識的な組織なんてそこらじゅうに
いくらでもあるわ。
俺がやらんでもええよな、そんなこと。
ロケット花火で服を焦がすくらい
体はってるメンバーに
下ネタを絡ませながら大笑いする
最低で最高なのが楽遊会だったよな。笑
大人になりきれない大人が
夜な夜な集まって
どうしょうもない話しを一晩中する
そういうのが楽遊会だった。
ちょっと健全すぎるかもしれんね、最近は。
もともと俺自体社会不適合者みたいな人間なんだからさ
愛想笑いじゃ何も生み出せないんだよ。
誰の居場所も生み出せない。
自分のさえね。
俺は俺らしくあることが仕事だと考えよう。
自分の行動を制限するのが自分の組織だとしたら
それはただの不幸だ。
なんのためにやってんだよ。
腹から笑えるようなことするためだろ?
仲良しごっこするためじゃないだろ。
崇高な目的もいいけど
目の前のメンバーと楽しめなくて
何が社会貢献だよ!
ってね。笑
じぶんじしんにそう思うわ。笑
自己中心的にいこう!!笑
なかなか見ない宣言だよね。笑
何事も長所であり短所であるなら
振り切るまでやる!
そしたら何か見えてくるんじゃないかな。
平均的な事やってれば批判もないだろ。
でもさ、そんなことに意味なんてないんだよ。
ただいたずらに時間を浪費してさ。
無難な人を集めてなんになるっていうんだよ。
風俗嬢歓迎!
キャバ嬢歓迎!
同性愛者歓迎!
めんどくさい男お断り!
ネチネチしてる人お断り!
恩知らずお断り!
でええじゃん。笑
リスカしてようがどうしようが
そんなことは関係ない。
面白い人間ならそれでよし!だろ。
俺がええって言ってんだからいいんだよ◎
それでついてこれない人はついてこれなくていいです!と。
組織ってそういうもんだよね。
ちょっと極端ではあるけど
方針や理念に疑問を持ったり
ついていけないと思ったなら
組織を批判するのではなく
自分が去ればいいだけのこと。
ちょっと幅広く受け入れすぎたのかもしれない。
俺と価値観が合わない人を大量にいれても
俺についてきてくれるメンバーが
不快になるだけなんだよな。
様々な価値観が入り乱れると
マイナスな価値観が残っていく。
誰か一人でも大嫌いなメンバーがいれば
組織から大切なメンバーが去っていくということも
よくわかった。
だからこそ無駄にメンバーが多いのって
リスクも高くなるってことなんだよな。
組織の方針の段階で
ある程度ふるいにかけておかないと
大変なことになる。
あと、恋愛するのは自由だけど
男のせいで女性メンバーが
いなくなるのは防ぎたい。
積極的に女性メンバーの位置づけは
守っていかんとね〜。
俺が必要だと思えば女性を優先にすることも
出てくるだろうね。
当然だけど。
今年から方針を変えよう変えようと
思ってたけどなかなか動き出せなかった。
けど、それは色んなバランスを考えてのことだった。
以前、楽遊会は第二世代から第三世代に
変わります!みたいなことを言って
常連さんに「おい!」っていわれたことがあった!笑
でもそれくらい自分の中で
ガラッと勢いつけないと
出来ない事も正直あるんだよね。
俺が保守的ってどうなん。
絶対ありえんだろ!笑
常に革新的でないと楽遊会無理だわ。
かなり偏ってもいいからやろう。
映像って偉大だな。
写真ではその頃の会話とかは
残らない。
雰囲気だけ残すからいいという考えもあるだろうけど
俺は違うな。
音声も会話の内容も残ってるほうがいい!
しかし、編集はしないとダメだね。笑
面白くないとこはカットしないと!笑
また、それが出来るから映像はいいね◎
まさに思い出は美しく!!◎
楽しく美しく残るなら最高じゃん♪
数年後に編集した物を
みんなで見たり出来たらええよな。
オフ会の映像だけで30個くらいは
残ってた!
これは財産だな。
その他プライベートでメンバーと
遊びに行ったり
弾き語りメインの頃の仲間とかも
残ってたり。
その時の声、会話、雰囲気
そのまま残ってる。
もう二度と同じようには戻れない
前の家の映像とかもな、あるんよな。
2004年の映像があるということは
10年前から俺はずっと映像の可能性を
大切にしてきた。
手元に見つからないからあれだけど
2004年より前にも
ビデオカメラ使ってた記憶があるから
実際にはもうちょっと前からか。
意識してなければ10年前の映像なんて絶対残ってない。
逆にこれから10年経ったときに
現在の映像が残るかどうかは今の自分にかかってるんよね。
うん、間違ってなかった。
これからも我が道をいこう。
結局正しかったかそうじゃなかったかなんて
やってみないとわかんないんだから。笑
だとしたら保守的になって
縮こまってるより
100回失敗して
1回大成功したらええよな◎
世界にはもう数えきれないくらい人間がおる。
思っただけの人間を集められないなら
それは確実に自分が至らないせいだ。
街に出ればいくらでも人はいるわけだし
その人達の財布の中にはお金もある。
だからビジネスがうまくいかないっていうのも
ただの言い訳にしかならないんだよね。笑
人の心が動くか動かないか。
動かせるか動かせないか。
そこだよね。
全力でやっても動かせるかわかんないのに
自分という人間の持てる力を総動員させないと
無理だろ。
だとしたら、長所とか短所とか
なりふり構ってる場合じゃない。
圧倒的な長所(メリット)を
ニッチな価値観のもちぬしにでも
感じてもらえればそれは強いわな。
常識にとらわれてる人とか
細かい事を気にする人は俺は無理だから
そういう人に関わらずにいこう。
それが相手の為でもある。
どうしても関わらなければならない場合は
こちらが譲ろう。
相手を不快にさせたくはないし
自分が正しいなんて思ってはいないから。
人間なんて
何が正しくて正しくないなんて
本来ないよ。
だからこそ再び、引き続き、
我が道をいこうと思う。
2014年2月28日金曜日
プラスの力で全てを変える。
時々ね、思うんよ。
マイナスの力って強いよなってさ。
悪口や変な噂ってすごく早く広まるものだし
悪口を言う者同士って結託したりするじゃん??
人気者を潰すのって簡単なんだろうなとかね。。
でもなんていうんだろ、
マイナスの力を使って人を貶めることって
裏技を使ってゲームをクリアするのに
少し似てるというか。
裏技が存在してる以上それを使ってもいいだろって
思う人もいれば
裏技を使うのは卑怯だという人もいる。
何より俺はゲームがつまらなくなると思うんだよね。
スライムを倒すのに苦戦してるときもさ
後から考えたら、なんかいいじゃん?笑
一生懸命でさ。
それで徐々に成長してギリギリ倒せるか
倒せないかの敵と戦うから面白いんでしょ?
プラスの力でいくから面白いんでしょ。
マイナスや影は
プラスや光の副産物でしかないと思ってる。
この世界が光で満たされているように
きっと光の力、つまりプラスの力で
いくべきだと思うんだよね。
いつか振りまいた力ってのは
大きくなって戻ってくると思ってる。
プラスを振りまけば
プラスが大きくなって返ってくるし
マイナスを振りまけば
マイナスが大きくなって返ってくる。
短期的に見ればマイナスの力は強いけど
長期的に見ればきっとマイナスの力を飲み込んで
さらにプラスは増大する。
そんな気がしてるよ。
マイナスの力って強いよなってさ。
悪口や変な噂ってすごく早く広まるものだし
悪口を言う者同士って結託したりするじゃん??
人気者を潰すのって簡単なんだろうなとかね。。
でもなんていうんだろ、
マイナスの力を使って人を貶めることって
裏技を使ってゲームをクリアするのに
少し似てるというか。
裏技が存在してる以上それを使ってもいいだろって
思う人もいれば
裏技を使うのは卑怯だという人もいる。
何より俺はゲームがつまらなくなると思うんだよね。
スライムを倒すのに苦戦してるときもさ
後から考えたら、なんかいいじゃん?笑
一生懸命でさ。
それで徐々に成長してギリギリ倒せるか
倒せないかの敵と戦うから面白いんでしょ?
プラスの力でいくから面白いんでしょ。
マイナスや影は
プラスや光の副産物でしかないと思ってる。
この世界が光で満たされているように
きっと光の力、つまりプラスの力で
いくべきだと思うんだよね。
いつか振りまいた力ってのは
大きくなって戻ってくると思ってる。
プラスを振りまけば
プラスが大きくなって返ってくるし
マイナスを振りまけば
マイナスが大きくなって返ってくる。
短期的に見ればマイナスの力は強いけど
長期的に見ればきっとマイナスの力を飲み込んで
さらにプラスは増大する。
そんな気がしてるよ。
2014年2月22日土曜日
主体性とエゴ。
自分が「こっちの方が
いいだろう」と思う事と
現実っていうのには
時々ズレがありますよね。
例えば
主体性を発揮しなければならない部分と
でしゃばってはいけない部分の判断。。
こういうのは非常に難しい。
まさに、空気を読む力が必要なわけです。
自分で組織を立ち上げて
運営していく中では
とくにこの場面によく遭遇します。
トップが仕切りすぎると
メンバーは主体性を失い楽しめなくなる。
全く仕切らないと
いざ舵をとらないといけないときに
とれなくなる。
メンバーの主体性を失わず
組織として進むべき方向へ進もうと考える時
リーダーというのは皆悩むのかもしれない。
そう考えるとキチッとした
会社のように段階的な組織図を作っておけば
統率はしやすいのだろう。
昔からルールとかマニュアルとか嫌いで
そういうものがないところでやっていきたいと
思ってた。
でももしかしたらそれはとても少数の人間なのではないかと
考えだしたのは実はつい最近なんだよね。
俺が思う事がみんないいって賛同してもらえるとは
思ってないんだけど
それでも絶対こっちの方がいいだろう!って
自信を持ってることはいくつかあった。
まさかそれが少数であるなんて考えもしなかった。
誰かから言われるわけではないんだ。
それこそ空気を読んだ時にさ
感じるわけ。
誰もが自由を求めてるわけではないのだと。
思い知らされるわけ。
究極の価値観の違い。
しかし、同時に思った。
誰もが俺が求めるような自由を求めた場合
まず、組織として成り立たないよな。。と。
時々出てくる、「なおきち」の立場になろうとする人。
本人自覚ないのかもしれないけど
女の子はそういうのすごく敏感に感じてるんだよね。
あの人なんなの?
なおきちさんになりたいの?
なんてのはここ何年かよく聞く。
俺の真似をすれば俺と同じ事が
出来るわけではないんよな。
とくに俺の組織の中で
俺の位置づけになろうと無意識にでも
考える人間は
反感をかってる。
まあ、当然ではあるんだけど。
楽遊会の中では
メンバーの面白さを
俺が見つけて賞賛することがよくある。
そしたら一気に輪の中心になる。
そうなった時に今までの人間関係のやり方では
成立しなくなり
精神的に押しつぶされてしまい
結果、楽遊会から去るというのがあった。
今まで友達がたくさんいた人でも
通常同じジャンルの人間が
周りのほとんどなのに
楽遊会の場合は価値観も状況も
様々な人がいる。
だから少数合わない人がいても
精神的に苦しくなり
どこかに行ってしまう人がいるんよね。
なおきちさんの事は嫌いではないんだけど
メンバーのあの人が来る限りいかない。。
みたいなのは昔からあること。
逆に、今まで友達がいなかった人が
一気に輪の中心になったとき。
これもやはり精神的ストレスはあるみたい。
メンバー同士で個人的に遊びだすと
俺の目が届かなくなり
トラブルもよく聞く。
その結果、メンバーが気まずくなり
こなくなったりする。
そういうのはどこにでもあるんだろうけど
正直嫌なんだよね。
まあ、それも俺が統率出来てない証拠ではあるんだけど。
もともと楽遊会は個人的な集まりだった。
正直、俺の居場所を増やすことが目的だった。
当時、弾き語りしてたから
そこに居場所はあったんだけど
もっと違う人達と関わりたかったのもあってね。
で、たくさん人が集まってくれるようになり
俺の居場所とメンバーの居場所になった。
誰もが自己顕示欲というものを持っているので
面白いメンバーを中心に置けば
メンバーも楽しいだろうしいいだろうなぁと思い
もともと社交的じゃない俺は一線から退こうと思った。
しかし、よくかんがえたらこれが間違いだったのかもしれない。
もともと
弾き語り
ハンドメイド
写真
等、俺の能力をフルに活かして
俺が中心として
自分の魅力も含め人を集めていた時と
何かが違うような気がしてる。
いつからか
楽遊会は個人的なものではなく
「みんな 」のものだと俺が思うようになり
遠慮もうまれるようになった。
自分より相手を優先する事も増える。
そうなった時に楽遊会としての
主体性はどこにあるのかと。
そう思った。
考えたけど
どこにもなかった。。
やはり当然だけど
俺が中心になって
俺の力で
俺の魅力で
人を集めていかないと
尊敬もされない
感謝もされない
何も無い
魅力も無いような組織に
なっていってもしょうがないと思った。
いつからか
俺の組織なのに
俺が主体性を発揮する事が
エゴなんじゃないかと
心のどこかで思ってた。
わがままを出す事が恐くなっていたのかもしれない。
でも我が侭と主体性って紙一重なんだよね。
結果、良質なメンバーが増えれば
俺がどれだけ主体性を発揮しても
現存のメンバーにとってのメリットは大きいわけだし
統率もとりやすくなる。
少し前にも書いたけど
リスペクトし合えない関係に意味なんてないんだよ。
無駄だし魅力的ではない。
小規模の戦略をずっと引きずったまま
ここまできてしまったのかもしれないと
反省してる。
人の意見を聞く事は確かに大事だよね、
でもさ、人の意見を聞いていなかった時代の方が
うまくいってた現実ってどうなんだろ。
また、正しい意見をとりいれまくるとさ
短所のない、しかし長所もない
平均的な組織になると思った。
それよりは
メチャクチャ変な組織で偏ってるけど
メチャクチャ魅力あるとこの方がええよな。
どうすれば批判されないかということを考えるんじゃなくてさ
どうすれば面白い事が出来るかってことを
考えたらええかもな。
組織が大きくなれば
俺だけでは責任がとれなくなることも多くなる。
そして大きくなれば比例するように
批判や否定の声も大きくなる。
その全てに耳を貸す事が
リーダーの役目だと思ってたけど
それはクレームセンターの役目だよな。
俺がエゴだと思っていたことは
実はとても必要だったのだと今思ってる。
押しつけにならないように。。
なんて考えながら走ってきたけど
そんなんじゃベストは出せない。
俺はこうだ!
気に入ったやつはついてこい!
気に入らないやつは去ってくれてかまわない!
っていうスタンスじゃないと
結局わがままな俺は
何も動けないんだろうな。
なんかそう思ったよ。
自己中人間がさ
周りに合わせようとするから
変な事になるんだ。
自分が属する側の人間なら
しょうがない。
我慢するしか無い。
ただ、俺は立ち上げてんだ。
本来誰のいうことも聞かなくていい!
誰かの言いなりになるのが嫌だから
我が侭に生きたいから
自分で立ち上げたんだろ?
誰もついてきてくれなくても
1人でやるだけの覚悟は
最初からあるだろ?
だったらそれが答えじゃんって話し。
価値観合わない人間も含め
たくさん集めても結局それは
批判を集めてるだけだよな。笑
価値観合わない人は最初から
入らない方がいいわな。
それがリスペクトしてくれてるメンバーを
守ることにもなるわけだ。
ハードルは低く保つよ。
けどな、俺を嫌いな人は
いつでも去ってくれというスタンスでいこう。
引き止める理由はどこにもない。
去っていった人に使うはずだった時間を
大切な人達に使えば一番ええよな。
俺自身嫌いな人はそんなにいない。
けど、だからといって
俺が嫌われないということではない。
もちろん、構わない。
さみしいけどね。笑
でも、それを恐れてたら何も進まない。
もともと狭く深く関わる人間だもんな。
俺が大好きな人達が俺のそばにいてくれれば
俺は幸せだ。笑
はい、でた!
自己中!笑
人間そんなもんでしょ。
出来るだけたくさんの人の居場所を作ってやりたいよ。
しかし、居場所を提供しようと思ってる相手から
嫌われてまで作ろうとは思わない。笑
全ての人が幸せになったらいいと思ってる。
でもよく考えたら俺のそばじゃなくても
世界は広いし幸せになれる場所なんて
いくらでもあるんだよな。
全ての不幸な人を良い方向に
導いてあげることが出来たら本当にいいけど
まだタイミングじゃない人だっておるしな。
巡り巡ってまた出会って
そのときタイミングがくるかもしれんしな。
俺が自分の居場所を作ろうと思い
楽遊会を作り
その中でみんなの居場所を作ろうと思った。
その理由はさ、
誰もが居場所があり
安心して眠れる場所があり
美味しい御飯が食べれること
それ自体が俺の幸せでもあるんだよね。
だからこそ楽遊会の中に
みんなの居場所を作りたいと思った。
子供がさ、
幸せそうに眠っていたり
楽しそうに遊んでいたりしたらさ
それだけで嬉しくてかわいくて幸せになるじゃん?
あれを子供だけではなく
俺は大人にも感じるんだよ。
ひとりぼっちだった人に友達が出来たら嬉しいし
うまくいかなかったことがうまくいったら嬉しい。
他人はな、
自分の一部なんだと思う。
だから本気で腹も立つ。
自分のことのようにな。
だって、自分の一部だもんな。
同じように
俺もみんなの一部なんだと思ってる。
たくさんの自分の欠片を集めるように
楽遊会は未だ見ぬ「もとの姿」に
戻っていけたらいいな。
いいだろう」と思う事と
現実っていうのには
時々ズレがありますよね。
例えば
主体性を発揮しなければならない部分と
でしゃばってはいけない部分の判断。。
こういうのは非常に難しい。
まさに、空気を読む力が必要なわけです。
自分で組織を立ち上げて
運営していく中では
とくにこの場面によく遭遇します。
トップが仕切りすぎると
メンバーは主体性を失い楽しめなくなる。
全く仕切らないと
いざ舵をとらないといけないときに
とれなくなる。
メンバーの主体性を失わず
組織として進むべき方向へ進もうと考える時
リーダーというのは皆悩むのかもしれない。
そう考えるとキチッとした
会社のように段階的な組織図を作っておけば
統率はしやすいのだろう。
昔からルールとかマニュアルとか嫌いで
そういうものがないところでやっていきたいと
思ってた。
でももしかしたらそれはとても少数の人間なのではないかと
考えだしたのは実はつい最近なんだよね。
俺が思う事がみんないいって賛同してもらえるとは
思ってないんだけど
それでも絶対こっちの方がいいだろう!って
自信を持ってることはいくつかあった。
まさかそれが少数であるなんて考えもしなかった。
誰かから言われるわけではないんだ。
それこそ空気を読んだ時にさ
感じるわけ。
誰もが自由を求めてるわけではないのだと。
思い知らされるわけ。
究極の価値観の違い。
しかし、同時に思った。
誰もが俺が求めるような自由を求めた場合
まず、組織として成り立たないよな。。と。
時々出てくる、「なおきち」の立場になろうとする人。
本人自覚ないのかもしれないけど
女の子はそういうのすごく敏感に感じてるんだよね。
あの人なんなの?
なおきちさんになりたいの?
なんてのはここ何年かよく聞く。
俺の真似をすれば俺と同じ事が
出来るわけではないんよな。
とくに俺の組織の中で
俺の位置づけになろうと無意識にでも
考える人間は
反感をかってる。
まあ、当然ではあるんだけど。
楽遊会の中では
メンバーの面白さを
俺が見つけて賞賛することがよくある。
そしたら一気に輪の中心になる。
そうなった時に今までの人間関係のやり方では
成立しなくなり
精神的に押しつぶされてしまい
結果、楽遊会から去るというのがあった。
今まで友達がたくさんいた人でも
通常同じジャンルの人間が
周りのほとんどなのに
楽遊会の場合は価値観も状況も
様々な人がいる。
だから少数合わない人がいても
精神的に苦しくなり
どこかに行ってしまう人がいるんよね。
なおきちさんの事は嫌いではないんだけど
メンバーのあの人が来る限りいかない。。
みたいなのは昔からあること。
逆に、今まで友達がいなかった人が
一気に輪の中心になったとき。
これもやはり精神的ストレスはあるみたい。
メンバー同士で個人的に遊びだすと
俺の目が届かなくなり
トラブルもよく聞く。
その結果、メンバーが気まずくなり
こなくなったりする。
そういうのはどこにでもあるんだろうけど
正直嫌なんだよね。
まあ、それも俺が統率出来てない証拠ではあるんだけど。
もともと楽遊会は個人的な集まりだった。
正直、俺の居場所を増やすことが目的だった。
当時、弾き語りしてたから
そこに居場所はあったんだけど
もっと違う人達と関わりたかったのもあってね。
で、たくさん人が集まってくれるようになり
俺の居場所とメンバーの居場所になった。
誰もが自己顕示欲というものを持っているので
面白いメンバーを中心に置けば
メンバーも楽しいだろうしいいだろうなぁと思い
もともと社交的じゃない俺は一線から退こうと思った。
しかし、よくかんがえたらこれが間違いだったのかもしれない。
もともと
弾き語り
ハンドメイド
写真
等、俺の能力をフルに活かして
俺が中心として
自分の魅力も含め人を集めていた時と
何かが違うような気がしてる。
いつからか
楽遊会は個人的なものではなく
「みんな 」のものだと俺が思うようになり
遠慮もうまれるようになった。
自分より相手を優先する事も増える。
そうなった時に楽遊会としての
主体性はどこにあるのかと。
そう思った。
考えたけど
どこにもなかった。。
やはり当然だけど
俺が中心になって
俺の力で
俺の魅力で
人を集めていかないと
尊敬もされない
感謝もされない
何も無い
魅力も無いような組織に
なっていってもしょうがないと思った。
いつからか
俺の組織なのに
俺が主体性を発揮する事が
エゴなんじゃないかと
心のどこかで思ってた。
わがままを出す事が恐くなっていたのかもしれない。
でも我が侭と主体性って紙一重なんだよね。
結果、良質なメンバーが増えれば
俺がどれだけ主体性を発揮しても
現存のメンバーにとってのメリットは大きいわけだし
統率もとりやすくなる。
少し前にも書いたけど
リスペクトし合えない関係に意味なんてないんだよ。
無駄だし魅力的ではない。
小規模の戦略をずっと引きずったまま
ここまできてしまったのかもしれないと
反省してる。
人の意見を聞く事は確かに大事だよね、
でもさ、人の意見を聞いていなかった時代の方が
うまくいってた現実ってどうなんだろ。
また、正しい意見をとりいれまくるとさ
短所のない、しかし長所もない
平均的な組織になると思った。
それよりは
メチャクチャ変な組織で偏ってるけど
メチャクチャ魅力あるとこの方がええよな。
どうすれば批判されないかということを考えるんじゃなくてさ
どうすれば面白い事が出来るかってことを
考えたらええかもな。
組織が大きくなれば
俺だけでは責任がとれなくなることも多くなる。
そして大きくなれば比例するように
批判や否定の声も大きくなる。
その全てに耳を貸す事が
リーダーの役目だと思ってたけど
それはクレームセンターの役目だよな。
俺がエゴだと思っていたことは
実はとても必要だったのだと今思ってる。
押しつけにならないように。。
なんて考えながら走ってきたけど
そんなんじゃベストは出せない。
俺はこうだ!
気に入ったやつはついてこい!
気に入らないやつは去ってくれてかまわない!
っていうスタンスじゃないと
結局わがままな俺は
何も動けないんだろうな。
なんかそう思ったよ。
自己中人間がさ
周りに合わせようとするから
変な事になるんだ。
自分が属する側の人間なら
しょうがない。
我慢するしか無い。
ただ、俺は立ち上げてんだ。
本来誰のいうことも聞かなくていい!
誰かの言いなりになるのが嫌だから
我が侭に生きたいから
自分で立ち上げたんだろ?
誰もついてきてくれなくても
1人でやるだけの覚悟は
最初からあるだろ?
だったらそれが答えじゃんって話し。
価値観合わない人間も含め
たくさん集めても結局それは
批判を集めてるだけだよな。笑
価値観合わない人は最初から
入らない方がいいわな。
それがリスペクトしてくれてるメンバーを
守ることにもなるわけだ。
ハードルは低く保つよ。
けどな、俺を嫌いな人は
いつでも去ってくれというスタンスでいこう。
引き止める理由はどこにもない。
去っていった人に使うはずだった時間を
大切な人達に使えば一番ええよな。
俺自身嫌いな人はそんなにいない。
けど、だからといって
俺が嫌われないということではない。
もちろん、構わない。
さみしいけどね。笑
でも、それを恐れてたら何も進まない。
もともと狭く深く関わる人間だもんな。
俺が大好きな人達が俺のそばにいてくれれば
俺は幸せだ。笑
はい、でた!
自己中!笑
人間そんなもんでしょ。
出来るだけたくさんの人の居場所を作ってやりたいよ。
しかし、居場所を提供しようと思ってる相手から
嫌われてまで作ろうとは思わない。笑
全ての人が幸せになったらいいと思ってる。
でもよく考えたら俺のそばじゃなくても
世界は広いし幸せになれる場所なんて
いくらでもあるんだよな。
全ての不幸な人を良い方向に
導いてあげることが出来たら本当にいいけど
まだタイミングじゃない人だっておるしな。
巡り巡ってまた出会って
そのときタイミングがくるかもしれんしな。
俺が自分の居場所を作ろうと思い
楽遊会を作り
その中でみんなの居場所を作ろうと思った。
その理由はさ、
誰もが居場所があり
安心して眠れる場所があり
美味しい御飯が食べれること
それ自体が俺の幸せでもあるんだよね。
だからこそ楽遊会の中に
みんなの居場所を作りたいと思った。
子供がさ、
幸せそうに眠っていたり
楽しそうに遊んでいたりしたらさ
それだけで嬉しくてかわいくて幸せになるじゃん?
あれを子供だけではなく
俺は大人にも感じるんだよ。
ひとりぼっちだった人に友達が出来たら嬉しいし
うまくいかなかったことがうまくいったら嬉しい。
他人はな、
自分の一部なんだと思う。
だから本気で腹も立つ。
自分のことのようにな。
だって、自分の一部だもんな。
同じように
俺もみんなの一部なんだと思ってる。
たくさんの自分の欠片を集めるように
楽遊会は未だ見ぬ「もとの姿」に
戻っていけたらいいな。
2014年2月20日木曜日
下書き保存の蓄積。
このなおきちずむ。をはじめて
どれくらい経っただろうか。
正直意識してない。
日々の直感やひらめき、
思想を残す事にただ没頭していた。
書きながら途中でやめたものは
全て自動的に下書き保存される。
それらを公開するには
気持ち的に少し憚られる。
マイナスな要素を含む事や
主観が強すぎるもの、
タイミングを逃したもの達。
その言葉はデジタルとして
行った事もない見た事も無い
企業のサーバー上にひっそりと眠る。
日の目を見る事も無く。
よく考えれば不思議なものだ。
個人のなんでもない思想を
個人が家でパソコンを打ち
おそらく海外のサーバーに
無料で蓄積していく。
そんなことに想いを馳せると
まるで宇宙について考えてるような気持ちになる。
自分の想像の追いつかない世界。
しかし、現実にそれが成立してんだよな。
知らないことばかりだ。
一生かけて色んな事をかじって学んでも
この世の全てを知る事は出来ないし
この世の全ての人に会うことも出来ないんだ。。
そしてこうしている間にも
どこかで誰かが死に
二度とあえなくなっていく。
あまりにも多すぎて速すぎて
どうしたらいいのか
時々わからなくなるんだ。
そんな時決まって思うのが
とにかく一日を濃く生きよう。
好きな事をしよう。
好きな人に会おう。
長所を伸ばす事に集中しようということ。
短所を補う事も大切なのだろうけど
長所を伸ばす為にも使える時間を
短所を補う事に使えば
平均的な人間に近づくということ。
しかし、価値はそこにはないと思ってんだ。
オリンピックだって
短距離走者は延々短距離走を極めるから
すごいわけであって
片手間でいろんな種目をかじっても
どこかで突出した結果なんて
出せないよね。
一つを極めるからすごいんだ。
一つを極めるという事は極端に言えば
他の事がおろそかになってもいいから
その道を極めるという事。
短距離走のトップが
水泳出来なくても大した事ではないし
短距離においての価値は全くさがらないんだよね。
同じように自分の強みを把握して
そこを伸ばしていく事が大切かな。
自分の理想な報酬プラン、ライフスタイル、
全てにおいても我が侭でいい。
我が侭でいいし人に批判されるような
自己中心的だと思えるようなものだとしてもいいから
それを実現出来るようなアイデアを見つけよう。
そこが大切だと思ってる。
どんなことでも新しいものは
批判されるんだから。
もしかしたらあなたの中に浮かぶ
アイデアは批判されるかもしれない。
でも、それは見た事も聞いた事もないものだからかもしれない。
全ては結果。
結果を出してしまえば
周りは徐々に静かになる。
批判の声が声援に変わる瞬間。
人間なんて勝手なものだしいい加減なものだよ。
そんなものに振り回される必要は無い。
批判する人は批判することにおいて
責任を持とうとすら考えていないのだから。
あなたはあなたの人生において
責任を持たなければならない。
だとすればどちらが大切かは
自ずと見えてくる。
人生プランを「下書き保存」で
終わらせるようなことだけは
したくないよな。
どれくらい経っただろうか。
正直意識してない。
日々の直感やひらめき、
思想を残す事にただ没頭していた。
書きながら途中でやめたものは
全て自動的に下書き保存される。
それらを公開するには
気持ち的に少し憚られる。
マイナスな要素を含む事や
主観が強すぎるもの、
タイミングを逃したもの達。
その言葉はデジタルとして
行った事もない見た事も無い
企業のサーバー上にひっそりと眠る。
日の目を見る事も無く。
よく考えれば不思議なものだ。
個人のなんでもない思想を
個人が家でパソコンを打ち
おそらく海外のサーバーに
無料で蓄積していく。
そんなことに想いを馳せると
まるで宇宙について考えてるような気持ちになる。
自分の想像の追いつかない世界。
しかし、現実にそれが成立してんだよな。
知らないことばかりだ。
一生かけて色んな事をかじって学んでも
この世の全てを知る事は出来ないし
この世の全ての人に会うことも出来ないんだ。。
そしてこうしている間にも
どこかで誰かが死に
二度とあえなくなっていく。
あまりにも多すぎて速すぎて
どうしたらいいのか
時々わからなくなるんだ。
そんな時決まって思うのが
とにかく一日を濃く生きよう。
好きな事をしよう。
好きな人に会おう。
長所を伸ばす事に集中しようということ。
短所を補う事も大切なのだろうけど
長所を伸ばす為にも使える時間を
短所を補う事に使えば
平均的な人間に近づくということ。
しかし、価値はそこにはないと思ってんだ。
オリンピックだって
短距離走者は延々短距離走を極めるから
すごいわけであって
片手間でいろんな種目をかじっても
どこかで突出した結果なんて
出せないよね。
一つを極めるからすごいんだ。
一つを極めるという事は極端に言えば
他の事がおろそかになってもいいから
その道を極めるという事。
短距離走のトップが
水泳出来なくても大した事ではないし
短距離においての価値は全くさがらないんだよね。
同じように自分の強みを把握して
そこを伸ばしていく事が大切かな。
自分の理想な報酬プラン、ライフスタイル、
全てにおいても我が侭でいい。
我が侭でいいし人に批判されるような
自己中心的だと思えるようなものだとしてもいいから
それを実現出来るようなアイデアを見つけよう。
そこが大切だと思ってる。
どんなことでも新しいものは
批判されるんだから。
もしかしたらあなたの中に浮かぶ
アイデアは批判されるかもしれない。
でも、それは見た事も聞いた事もないものだからかもしれない。
全ては結果。
結果を出してしまえば
周りは徐々に静かになる。
批判の声が声援に変わる瞬間。
人間なんて勝手なものだしいい加減なものだよ。
そんなものに振り回される必要は無い。
批判する人は批判することにおいて
責任を持とうとすら考えていないのだから。
あなたはあなたの人生において
責任を持たなければならない。
だとすればどちらが大切かは
自ずと見えてくる。
人生プランを「下書き保存」で
終わらせるようなことだけは
したくないよな。
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