2014年3月15日土曜日

エーテルを探しに。

光を伝えるため
この世界を隙間なく
埋め尽くされていると信じられていた
エーテルという存在。

こういう過去の価値観みたいなものはとても好きだ。
今では廃れてしまっているが
当時の人達は本気でそうなのだと信じていた。

なんだかそんな時代がひどく愛しくなる。


僕はひねくれものなので
世界が捨てた価値観を愛する事もある。

概念が好きだからだ。

その中でもエーテルというものが好きだ。

この世界に光を伝え届ける為に
必要と思われていたもの。

隙間なくエーテルで満たされている世界。

何もないと思っていたすぐそこの景色は
本当は満たされていたのだと
初めて知った人々は
どんな気持ちになっただろう。

その瞬間の事を時々考える。

僕が知り得るはずもない瞬間の事を。


なんだかとても愛しく感じる。

子供は窓の外を眺め
大人は仕事の合間に町並みを眺めている。

そんな架空の世界を思い描いては
わくわくする。

実際には子供がそんな概念に興味を持つ事は
稀だろうし大人もそれどころではないとは思う。

けど、そんなことはどうでもよくて
自分の中のパラレルワールドは
いつもそんな感性を持った人達が
登場するのだ。


現実の世界は時に厳しく難しい。
しかし、それが楽しくもある。
何故なら全ては自分の力で変化させる事が
出来るからだ。

勝手に想像する世界とはまた違った楽しさがある。


僕が写真を撮るのは
ファインダーの向こう側に時々
イメージする世界を見る事が出来るからだ。

肉眼では到底見る事の出来ない世界。

コントラストもデタラメで
光だって丸くなったりするんだよ?

すごいすごい。

向こう側の世界を覗くのに
高いカメラは必要ない。

しかし、どんな世界を覗きたいかによって
カメラやレンズは違ってくるな。

僕が勝手に持つイメージの世界と同様に
現在は写真も我が侭に加工してしまう事が
出来るよね。

何が正しくて何が間違ってるなんてないんだ。
好きにやればいい。

いつか、ファインダーの向こうに
エーテルを捕まえたい。

満たしてる物だから
捕まえるって少し違うのかもしれないけれど
そんなふうに思う。

どこにもない世界は
案外いつも目の前にあるのかもしれない。
この世界を満たすエーテルのように。

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