2014年2月19日水曜日

形の無い幸せの形。

ライフスタイルや
収入を得る方法、
自由の定義等
様々な事が多種多様な時代になりました。

ドライになった部分もあれば
ネチネチするようになった部分も
あるように思います。

その全てに文句を言うより
自分の理想と照らし合わせ
どうすればいいのかを考える事が
建設的だと日々思っています。


過去の常識を
今も引きずっている場面は
思いの外多い。

それが悪いと言いたいのではなくて
俺の価値観の中では
ちょっと理想とズレてしまうので
個人的な視点で書いてみようと思っています。

友達
恋人
結婚相手

今はこれに当てはまらない関係性っていうのもあると思っています。
関係性はグラデーション。

知り合いから友達になっていくのが
グラデーションのように
正確に関係性を示す事は出来ないと思っています。

また、無理にあてはめる必要もないと思っています。

男性も女性も
自分で自分の収入を得る事が出来るようになった時代。

結婚だけが全てではないと思うし
子供がいることが偉いということにもならないと思っています。


大切なのは自分で選択するということ。
選択肢がないのであれば
選択出来るように努力をするべきだと思っています。

何が偉くて
何が劣っているかなんて
関係性においてはないと思います。

結婚してれば勝ち組
出来なければ負け組なんて表現が
流行りましたが
それもナンセンスだと思いますね。


新しい関係性はどんどん生まれると思います。

結婚しているのに別居で幸せに暮らしたり
籍を入れずに一生過ごしたり。

そういう曖昧な関係性を
悪く言う風潮があるけれど
本人同士がそれを求めているのであれば
それを周りがどうこういう必要は無い。

結婚したってかなりの確率で
離婚する時代です。



幸せの形も一概には言えないし
お金でもはかれない。

お金をたくさん持っていても
孤独な人はいるし
お金がなくても毎日最高に笑ってる人だっている。

幸せの形でさえ常識が適用されることさえあります。

いい学校に行き
いい会社に勤め
若くして結婚して
子供が出来、
マイホーム
マイカーを持つこと。

これはなんだか常識的な幸せのような気がしています。


人によっては
結婚をせず
子供も作らず
お金はないけど
我が侭に生きていく事が
最高に幸せな人もいると思います。

そういうのは大人になりきれない大人だと
烙印を押されてしまいそうですが
じゃあ、誰がその烙印を押すのかというと
「管理する側の人間」だと思うんですね。


思えば俺たちは
管理しやすいような常識を
子供の頃から
疑問を持たずに染み込まされてきた気がします。

人間の価値観が多種多様なように
幸福の条件も多種多様で当然であり
そこに結婚やお金っていうのは
必須項目ではないと思うんです。

もちろん、社会のバランスを保つ為には
常識的な教育というのは必要だとは思うのですが
結婚出来ない事やお金がない事で
死ぬ程悩んでいる人がいるのも事実。

そんなことで死んでしまうくらいなら
もっと気楽に生きたらいいんじゃないかと
俺は思ってる。


偏見を持たれてしまうような生き方を
選んだ方が幸せな人もいますよね。

罪悪感を抱えながら生きていくよりも
これが自分の幸せだと堂々と生きてほしい。

もちろん、人に危害を加えるような事は
いくら自分の幸せだとしても
よくないと思います。

出来る限り物事をフラットに考える俺でも
そこは譲れない。

なぜなら自分が幸福を追求するのと同じように
他の誰かも幸福を追求しているのだから。

共存していけることは必須条件。



形のない関係性
形のない幸せ

それらを選ぶのは自分次第だし
常識的な善悪を一旦外して
本当は何をしたいのか
考えてみる事を
全ての人に提案したい。

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