2014年2月22日土曜日

主体性とエゴ。

自分が「こっちの方が
いいだろう」と思う事と
現実っていうのには
時々ズレがありますよね。

例えば
主体性を発揮しなければならない部分と



でしゃばってはいけない部分の判断。。

こういうのは非常に難しい。

まさに、空気を読む力が必要なわけです。


自分で組織を立ち上げて
運営していく中では
とくにこの場面によく遭遇します。

トップが仕切りすぎると
メンバーは主体性を失い楽しめなくなる。

全く仕切らないと
いざ舵をとらないといけないときに
とれなくなる。

メンバーの主体性を失わず
組織として進むべき方向へ進もうと考える時
リーダーというのは皆悩むのかもしれない。

そう考えるとキチッとした
会社のように段階的な組織図を作っておけば
統率はしやすいのだろう。


昔からルールとかマニュアルとか嫌いで
そういうものがないところでやっていきたいと
思ってた。

でももしかしたらそれはとても少数の人間なのではないかと
考えだしたのは実はつい最近なんだよね。

俺が思う事がみんないいって賛同してもらえるとは
思ってないんだけど
それでも絶対こっちの方がいいだろう!って
自信を持ってることはいくつかあった。

まさかそれが少数であるなんて考えもしなかった。


誰かから言われるわけではないんだ。
それこそ空気を読んだ時にさ
感じるわけ。

誰もが自由を求めてるわけではないのだと。
思い知らされるわけ。

究極の価値観の違い。

しかし、同時に思った。
誰もが俺が求めるような自由を求めた場合
まず、組織として成り立たないよな。。と。


時々出てくる、「なおきち」の立場になろうとする人。
本人自覚ないのかもしれないけど
女の子はそういうのすごく敏感に感じてるんだよね。

あの人なんなの?
なおきちさんになりたいの?

なんてのはここ何年かよく聞く。


俺の真似をすれば俺と同じ事が
出来るわけではないんよな。

とくに俺の組織の中で
俺の位置づけになろうと無意識にでも
考える人間は
反感をかってる。

まあ、当然ではあるんだけど。


楽遊会の中では
メンバーの面白さを
俺が見つけて賞賛することがよくある。

そしたら一気に輪の中心になる。
そうなった時に今までの人間関係のやり方では
成立しなくなり
精神的に押しつぶされてしまい
結果、楽遊会から去るというのがあった。

今まで友達がたくさんいた人でも
通常同じジャンルの人間が
周りのほとんどなのに
楽遊会の場合は価値観も状況も
様々な人がいる。
だから少数合わない人がいても
精神的に苦しくなり
どこかに行ってしまう人がいるんよね。

なおきちさんの事は嫌いではないんだけど
メンバーのあの人が来る限りいかない。。
みたいなのは昔からあること。


逆に、今まで友達がいなかった人が
一気に輪の中心になったとき。
これもやはり精神的ストレスはあるみたい。

メンバー同士で個人的に遊びだすと
俺の目が届かなくなり
トラブルもよく聞く。

その結果、メンバーが気まずくなり
こなくなったりする。

そういうのはどこにでもあるんだろうけど
正直嫌なんだよね。

まあ、それも俺が統率出来てない証拠ではあるんだけど。


もともと楽遊会は個人的な集まりだった。
正直、俺の居場所を増やすことが目的だった。
当時、弾き語りしてたから
そこに居場所はあったんだけど
もっと違う人達と関わりたかったのもあってね。

で、たくさん人が集まってくれるようになり
俺の居場所とメンバーの居場所になった。

誰もが自己顕示欲というものを持っているので
面白いメンバーを中心に置けば
メンバーも楽しいだろうしいいだろうなぁと思い
もともと社交的じゃない俺は一線から退こうと思った。

しかし、よくかんがえたらこれが間違いだったのかもしれない。

もともと
弾き語り
ハンドメイド
写真
等、俺の能力をフルに活かして
俺が中心として
自分の魅力も含め人を集めていた時と
何かが違うような気がしてる。

いつからか
楽遊会は個人的なものではなく
「みんな 」のものだと俺が思うようになり
遠慮もうまれるようになった。

自分より相手を優先する事も増える。

そうなった時に楽遊会としての
主体性はどこにあるのかと。

そう思った。

考えたけど
どこにもなかった。。


やはり当然だけど
俺が中心になって
俺の力で
俺の魅力で
人を集めていかないと
尊敬もされない
感謝もされない
何も無い
魅力も無いような組織に
なっていってもしょうがないと思った。

いつからか
俺の組織なのに
俺が主体性を発揮する事が
エゴなんじゃないかと
心のどこかで思ってた。

わがままを出す事が恐くなっていたのかもしれない。

でも我が侭と主体性って紙一重なんだよね。

結果、良質なメンバーが増えれば
俺がどれだけ主体性を発揮しても
現存のメンバーにとってのメリットは大きいわけだし
統率もとりやすくなる。

少し前にも書いたけど
リスペクトし合えない関係に意味なんてないんだよ。

無駄だし魅力的ではない。


小規模の戦略をずっと引きずったまま
ここまできてしまったのかもしれないと
反省してる。

人の意見を聞く事は確かに大事だよね、
でもさ、人の意見を聞いていなかった時代の方が
うまくいってた現実ってどうなんだろ。

また、正しい意見をとりいれまくるとさ
短所のない、しかし長所もない
平均的な組織になると思った。

それよりは
メチャクチャ変な組織で偏ってるけど
メチャクチャ魅力あるとこの方がええよな。

どうすれば批判されないかということを考えるんじゃなくてさ
どうすれば面白い事が出来るかってことを
考えたらええかもな。

組織が大きくなれば
俺だけでは責任がとれなくなることも多くなる。

そして大きくなれば比例するように
批判や否定の声も大きくなる。

その全てに耳を貸す事が
リーダーの役目だと思ってたけど
それはクレームセンターの役目だよな。

俺がエゴだと思っていたことは
実はとても必要だったのだと今思ってる。

押しつけにならないように。。
なんて考えながら走ってきたけど
そんなんじゃベストは出せない。

俺はこうだ!
気に入ったやつはついてこい!
気に入らないやつは去ってくれてかまわない!
っていうスタンスじゃないと
結局わがままな俺は
何も動けないんだろうな。

なんかそう思ったよ。
自己中人間がさ
周りに合わせようとするから
変な事になるんだ。

自分が属する側の人間なら
しょうがない。
我慢するしか無い。

ただ、俺は立ち上げてんだ。
本来誰のいうことも聞かなくていい!

誰かの言いなりになるのが嫌だから
我が侭に生きたいから
自分で立ち上げたんだろ?

誰もついてきてくれなくても
1人でやるだけの覚悟は
最初からあるだろ?

だったらそれが答えじゃんって話し。


価値観合わない人間も含め
たくさん集めても結局それは
批判を集めてるだけだよな。笑

価値観合わない人は最初から
入らない方がいいわな。
それがリスペクトしてくれてるメンバーを
守ることにもなるわけだ。

ハードルは低く保つよ。
けどな、俺を嫌いな人は
いつでも去ってくれというスタンスでいこう。

引き止める理由はどこにもない。
去っていった人に使うはずだった時間を
大切な人達に使えば一番ええよな。


俺自身嫌いな人はそんなにいない。
けど、だからといって
俺が嫌われないということではない。
もちろん、構わない。
さみしいけどね。笑

でも、それを恐れてたら何も進まない。
もともと狭く深く関わる人間だもんな。
俺が大好きな人達が俺のそばにいてくれれば
俺は幸せだ。笑

はい、でた!
自己中!笑

人間そんなもんでしょ。
出来るだけたくさんの人の居場所を作ってやりたいよ。
しかし、居場所を提供しようと思ってる相手から
嫌われてまで作ろうとは思わない。笑

全ての人が幸せになったらいいと思ってる。
でもよく考えたら俺のそばじゃなくても
世界は広いし幸せになれる場所なんて
いくらでもあるんだよな。

全ての不幸な人を良い方向に
導いてあげることが出来たら本当にいいけど
まだタイミングじゃない人だっておるしな。
巡り巡ってまた出会って
そのときタイミングがくるかもしれんしな。


俺が自分の居場所を作ろうと思い
楽遊会を作り
その中でみんなの居場所を作ろうと思った。

その理由はさ、
誰もが居場所があり
安心して眠れる場所があり
美味しい御飯が食べれること
それ自体が俺の幸せでもあるんだよね。

だからこそ楽遊会の中に
みんなの居場所を作りたいと思った。

子供がさ、
幸せそうに眠っていたり
楽しそうに遊んでいたりしたらさ
それだけで嬉しくてかわいくて幸せになるじゃん?

あれを子供だけではなく
俺は大人にも感じるんだよ。

ひとりぼっちだった人に友達が出来たら嬉しいし
うまくいかなかったことがうまくいったら嬉しい。

他人はな、
自分の一部なんだと思う。

だから本気で腹も立つ。
自分のことのようにな。
だって、自分の一部だもんな。

同じように
俺もみんなの一部なんだと思ってる。

たくさんの自分の欠片を集めるように
楽遊会は未だ見ぬ「もとの姿」に
戻っていけたらいいな。

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