2014年1月17日金曜日

水に金を見る。

先日温泉に行く事になり
数年ぶりに大衆浴場という場所に行ったんです。

そのときに様々な気付きがございまして。


服を脱いでしまえば
人間も動物の一つだなと実感しました。

全て脱ぎ去った時に何が残るのか。
年齢が若いというだけで美しいだろうし
肉体は衰えど知恵や経験は若い者に負けないという人もいるだろう。

社長もニートもフリーターも正社員も
服を脱いでしまえばそんなに大差ない。

誰が誰かなんて顔を見なければわからない。



現在の役職や立場なんて本当にあやふやで
会社が倒産してしまえば
会社が潰れる前幹部だったとしても
関係なくなる。

だったら、本当に価値ある人間とはなんだ。。


そんなことが頭をよぎりました。
どこにいても何をしてても変わらない人間としての魅力。。

肉体本来の身体能力。美しさを含む総合力、
アイデアの作り方や経験等の能力、
健康、そういったものだろうと思いました。


服を着てたくさんの情報にまみれている日常の中で
僕にとって温泉や銭湯はいつも日常の近くにあったけど
行ってみると非日常だと感じました。

もう一つ、精神的な気付き。
銭湯の中ではずっと何かしらの水(お湯)の音がしています。

惜しげも無く流れ続けるお湯を見ていたときふと思ったのです。
お金の流れに似ていると。

そこから思考は水をお金に例えその流れについて考えていました。


途絶えることなく水を同じ場所から排出し続けようとするとき
水は大きく分けて2つの方法で一定量を確保出来ると思いました。


1つはどんどん新しい水を手に入れ
流し続けるということ。

2つ目は循環。
新しい水が常に出ているように見えても
見えないところでポンプですいあげていたなら
また同じ水を同じ場所から排出することが出来る。

温泉は自然に湧き出るものが本来の姿かな。

銭湯は人工的に創り出した浴場。

これは似て非なるもの。


新しい水を常に出し続けるならば
古い水は排出しなければならない。

意識せずとも器を満たせば自然にこぼれ落ちる。

しかし、循環を意識しておかなければ
水の流れがうまく起きていない場所が古くなる。

そう、ここでまた気付いた。
水の流れは組織の流れにも似てる。

上から下に水は落ちていく。
新しい上の水は価値が高い。
新しい水は少ない。

古い水はありふれる。
たくさんある。

水は自分の意志で重力に逆らう事は出来ない。
しかし、間接的に何かの力を借りる事が出来れば
上にあがることが出来る。

ポンプなり人間の手なり。



自然を見るときに
様々な事を重ね合わせて考える癖がついているのだが
銭湯という場所は人工物でありながら
水が豊富にあるので考え事をするのに良さそうだと思った。

自分と向き合いたい時程
関わりのない人がたくさんいる場所に自分を置いてみるのもいいのかもしれない。

相対的な自分が見えるし
自分の中での当たり前を壊してくれる出来事に
出会える可能性もあるから。

何をするときもただ「やる」のではなく
共通の本質について考えながら行っていこうと思う。

素晴らしい気付きをありがとう。

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