2013年12月26日木曜日

本当の不幸について。

時々こんな事を考えます。

本当に不幸なのはどういう事なのかと。

それを考える時に相対的に本当の幸福についても考えます。


昔はお金持ちの家の子供に生まれてたら
絶対幸せだったのに!なんて
考えていました。

だけど、大人になって色々な経験をしたり
色々な人を見ているうちに
どうも一概には言えない事に気付いたのです。


僕は何不自由なく育ててもらいました。
そのことに関して親に感謝しています。

ありあまるお小遣いというものはなかったので
自分で試行錯誤して作るようになりました。

お金のかからない遊びをしようという発想を持ちました。

お金をかけて遊べば簡単に遊べます。

しかし、お金をかけずに遊ぼうと思ったら
アイデアと工夫が必要です。

まず、誰かが用意してくれた遊びではなく
自分達で「遊び」自体を創り出したりします。笑

ルールを決めて改善していって
より楽しい遊びになるように。

そして無い物はダンボールや家にあるもので
作ったりして遊んでいました。

子供の時からブロックが大好きで
ブロックでモデリングして
ダンボールで作るみたいな感覚がありました。


今の子供はどうかわからないけど
あの当時子供だった僕にとってダンボールと
ガムテープとハサミとマジックさえあれば
なんでも作れるような気がしました。



ある日、冷蔵庫が家にきました。
その冷蔵庫の箱を見た時
目が輝いたのを今でも覚えています。

冷蔵庫の箱を切ったり貼ったりして
ベランダに秘密基地を作りました。

秘密基地と言っても
家族全員知っていますが。。笑

そして外からも丸見えですが
あの当時秘密基地にすごく憧れていたので。

ダンボールを切ったり貼ったりして作った
秘密基地の中は子供だった僕にとっては
とても広く自分だけの空間が嬉しかったです。

 しかし、ベランダに作った秘密基地は
大人の生活にとっては邪魔だったのか
数日で撤去することになりました。

すごくイヤだったのを覚えています。


クリスマスの時には
ケーキを食べました。

美味しかったし楽しかった。

でも、もっと食べれたらいいのになぁ。。

っていうのはいつも思っていました。




子供の時の渇望感というのは
大人になってからの行動に直結していると思います。

大人になったらケーキ1ホール全部1人で食べたい。。
本格的な秘密基地を作りたい。

そういう気持ちは今でも思い出す事が出来ます。


当時はうまくいかず思い通りに出来ず
大人が簡単に叶えてくれないことを恨んだりしました。

しかし、出来なかった事を自分の力で
やることが許されるようになってから
見事にクリエイティビティが最大化したように思います。



お金持ちじゃないからわからないけれど
もしも身の回りの事をしてくれる人がいたり
欲しい物が全て手に入っていたなら
物なんてどうでもいいと思っていたかもしれない。

怪獣のように我が侭に
オオカミのように走り回りながらすごした幼少時代が
あったからこそ無いものにフォーカスするよりも
欲しすぎて創り出してしまおう!という発想が生まれた。

あまりにも欲が強いとこうなるのだと自分で思った。

なんでも自分でやる習慣がつく。
何もないなら作ればいいという発想が身に付く。

それは大人になってはじめて気付いたけど
誰もが持っている物ではなくて
特別な才能なのだと。


何かが満たされていれば
同時に何かは退化していく。

逆に
何かが満たされなければ
何かは進化していくんだ。。



そして思った。
お金持ちだから偉いわけじゃない。
お金持ちの子供だからスキルが高いわけじゃない。

普通の家庭の子供の方がスキルが高いこともあるじゃないか。

お金持ちの有利なところは様々な経験をしているところ。
海外旅行や美味しい物を食べた経験があったりする。

これも思うんだけど、
もしかしたら求めてない時に海外旅行に行っても
あまり感動はないのかもしれない。

僕は学校の勉強って退屈で堪え難かった。
あれは求めても無いのに詰め込まれようとするから。
すごく不快だった。
どうしょうもなく。

でも、今の僕は誰も頼んでもいないのに
自分で本を買ったりネットで調べたりしながら
自分の興味がある事を勉強してる。
時には勉強する為に数万円支払う事だってある!!
しかも、先生とかに教えてもらう為ではなく
自分なりの実験や教材費に。

基本的に自分のペースでやりたいから
人に教えてもらうことは少ない。
ほぼ皆無。

ペースを乱されることは何よりも嫌いだから。
うんざりするのでね。



話しを戻します。

本当の不幸とは何か。

僕が思う本当の不幸とは
自分が幸福だと気付いていない人だと思います。

どんなことでも表と裏があり
メリットとデメリットがある。

同じ物でも光が当たってる部分だけを見れば
キレイに見えるし
影の部分を見れば黒いだけだ。

でも、同じ物であり見方、視点が違うだけ。

つまり、マイナスな面を見て悲しむ必要は無いってこと。
どんなこともプラスに置き換えられる。

そして言い訳をいつもしている人も本当に不幸。

自分に都合のいい言い訳をしている人を見ると
とても悲しくなる。

自身の深層心理にさえ気付いていないのか
「あえて」自分はそうしていると
熱弁する人もいるが
少し人間力が高い人から見れば
それは自分の心を守る為に
顕在意識がそう言わせているということに気付く。

他人でもそれを見破れるのに
本人は自分が本当にそう思っていると思い込んでいたりする。

とても残念。
そういう熱弁を聞くと人は離れていってしまう。
自分の心に素直に。



お金があるかどうかは
本当の幸せをはかる材料の一つとして
数える事が出来るかもしれないが
ただの材料の一つにしかすぎない。

それよりももっと大きな要素はたくさんある。

何が大きな要素となるかは
人それぞれだ。


本当の幸福を考える事によって
相対的に不幸が見えてくるし
不幸について考える事によって
幸福が見えてくる。

一般的な幸福論なんてどうでもよくて
それぞれの価値で考えたらいい。

幸福まで常識にしばられなければならないのか。

そんなことは絶対にない!


あなたはあなたらしく。
ダメなとこもあっていいよ。
上手く付き合っていくことが大切だ。

たくさんの人と関わり
ぶつかり、たくさんたくさん悲しい想いをして
角がとれていくんだよ。

そしてま〜るくま〜るくなったとき
人にぶつかっても優しくなれるようになるんだよ。

おそれずにさ、いこう。

上手に出来ないときもある。
恥ずかしい思いをしてしまうこともある。

でも、頑張ってる姿勢っていうのは
どれだけ不器用だろうが下手だろうが
とても美しいと思うんだ。

出来ない理由を並べてるとこなんて見たくないよ。
やる理由、出来る理由を見つけるんだよ。
ないなら強引にでも作るんだよ!

本当は格好わるいことこそカッコいいよ。

ダサい自分を見せれる人ってカッコいいしかわいらしい。



幸福はいつだって自分の中にある。
見るものではなく感じるものだからさ。

あなたの目の前にたくさんの不幸が押し寄せても
傷だらけになりボロボロになろうとも
もしかしたらその事によって最後の「カド」がとれて
幸福に転がりだすかもしれない。

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