2013年12月30日月曜日

「無料」の価値。

無料というものには
無限の価値があると同時に0でもある。

全く不思議なものだ。

最近良く思う。
価値はそこに存在するその時点で
一定の本質的な価値がある。

同時に、人間の世界において
価値を定めているのは人間だ。

だから、人間目線の価値で判断する。


本来の価値と人間が定める価値には
ズレがある。

地球全体で考えれば
自然は最大限大切にするべきなのは
誰だってわかるはずだ。

しかし、人間の価値においては
さほど高くない。

必要なのもわかってる。
でも、有り余っているから価値が「低い」と
されているのが現状だ。



話しを戻そう。

無料。
僕自身少し前までその言葉に弱かった。

しかしここ数年、ありがたいことに本当に良い物に
触れる機会にも恵まれた。

触れてみて初めてわかるその差。

物だけではない。
人間もそうだ。

人間を価値ではかるなんてナンセンスかもしれないが
はからずとも感じてしまうようになった。

あくまで主観の話しなので
他の人が同じだとは限らないし
価値観はそれぞれだから感じ方もそれぞれで当然。


それぞれ違うと良く思う。
だからこそ自分の考えを言わなくなった。
無駄に論争することも好きではないし
論破することに興味が無くなったからだ。

究極の争いのいきつくところは
平行線だと悟ったからだ。

価値観の違いをただすということは
自分の過去を否定するか
相手の過去を否定する事に
繋がるような気がしている。

そんなことまでして
自分が正しいなんて言い張りたくない。

それに、自分が全てにおいて
正しいなんて思っていない。


無料というものの価値。
それはまさに価値観の違いで
魅力的にも価値が0にも思える。

 無料で喜ぶ人は
金銭的に少なからず枯渇感を抱えながら
生きている人と言えるのではないか。

もしくはお金に対して劣等感を持っていたり
罪悪感を持っている人達。

無料の魅力は
金銭のやりとりがないということ。

無料とうたうからには
何かを提供します、でも、お金は頂きません。
という場合がほとんどだと思う。


僕は今までお金に対する罪悪感と劣等感から
無料でなんでもすることがいいことだと思っていた。

誰彼構わず提供してお金を頂かない事が
美徳のように感じていた。


しかし、最近思います。
俺はお金がない人にとっては確かに
少しの価値は提供出来たのかもしれない。

でも、お金を持っている人に対して
それでは価値を提供出来ていないのではないか。


お金を持っている人達というのは
価値があるなら少々高くても喜んでお金を支払う。

求めているものを早く、上質な物を確実に提供する。
求めているのは無料や値引きなんて言葉ではなくて
最大限のクォリティなんだよね。
むしろ、そこしかいらない。


僕はずっと自分自身のお金がない痛みを
人に重ね合わせて癒そうとしていたのかもしれない。

一環して言い続けた「見返りを求めず提供する」ということ
もうじゅうぶん証明出来たかな。

行動で示したかったんよ。
こんな人間もいるんだと。


ここからは価値の提供に力を入れていきたいんだ。


こんなことを思い出した。
フリーマーケットでハンドメイドを売ってた時
おばさんが値切ってくるんだよね。
僕はおばさんが気に入ってくれたのなら。。
と応じたのだけれど
おばさんからしてみれば安く買えればそれでよかったんだよね。
そして値切るということは
その商品にそれだけの価値はないと言い放ってるも同じ。
大量生産したものを流通を通して量販店で販売しているものなら
まあまあ。。と思うけど、
一対一でハンドメイドのものを値切る人って
ちょっと変わってるよね。

自分が得すればそれでいい。
僕の今の行動はそんな考えの人を引き寄せてるように思えた。

なおきちを利用して自分が得すればいい、
口には出さなくとも本人も意識しなくとも
無意識の段階でそんなことを思っているから
行動にでてしまう。

それでもかまわないと思っていた。
別に腹もたたない。
人間なんてそんなものってどこかで思っているから。

だから見返りを求めてないと公言出来るのだと思う。
とてもさみしい人間なのだろうなぁと自分自身思う。

でも、同時にそんな人ばかりじゃないことも知ってる。

どうしょうもなく優しくてあたたかい人もいる。
俺を利用しても利用した分返そうとする人もいる。
口には出さないけどそういうのはちゃんとわかる。

いいことはみんなのおかげ、
悪い事は俺のせい。
それは心のそこからそう思う。

何事も言い訳なんてしない!
全ての原因は自分自身なんだ。
どんなときも。



少し前にフリー戦略というのが流行った。
これはすごいと正直思ったし
これは本質に近いと思った。

インターネットやデジタルを使えば
この戦略は最強かもしれない。

だからこそ、無料というのは
これから恐ろしい物になる。
何かを受け取るということは
同時に何かを失っている可能性が
非常に高い時代がくる。

無料で受け取った便利な物が
人生を狂わす。
それはもうこの世の中では起きている。

全てはちゃんと理解して納得したうえでやること。

受け取る物と差し出すものを
自分の価値観で考えて差し引き納得出来るなら
受け取ればいい。

仕組みの裏側になにがあるのか。
それを考えないと恐い時代になる。


2014年は自分の価値観でいくと決めてる。
何が起きようとも。

人が離れる事もあるだろう。
しかし、その事によって新しい風が吹くだろう。
俺から切る事はかなり少ない。

価値を高める戦略に切り替える。
本来の自分に素直に。

努力している人が認められる形に。
スキルが高い人が評価される形に。
誰もが不快な感情を抱く事無くコミュニケーションをとれる形に。

仲間に何も与えようとせず
自分だけが受け取り続ければそれは居心地がいいだろう。
しかし、そんな組織なんて誰も求めていない。

嫌いな人と一緒に過ごす時間も求めてないだろう。

誰もが自分が認める大好きな人と一緒に遊びたい。
無駄のない濃いメンバーで遊びたい。
常に刺激があって飽きないことをやりたい。

そう願っているのではないか。

なおきちという人間は
今から考えると本当にどうしょうもないやつだった。
だから、自己中な人や嫌われてしまう人や
不器用な人の気持ちがすごくわかる。
自分自身がそうだったからね。

だからその人達の居場所を確保することを
最優先に考えてしまっていたように思う。

その犠牲として大好きな仲間もたくさん失ったし
優秀な人の離脱にも繋がった。

わかっていたけど
じゃあ、嫌われた人はどこへいくの?と思った。
ここにしか居場所がない人は
ここで嫌われたらもう後がない。
誰からも好かれる人は居場所なんてどこにでもある。
ここにいてほしいけど
俺は無意識のうちに嫌われ者をかばってきた。

しかし、当然だけど嫌われてしまう人には原因がある。
俺がどれだけ尽くしても最終的には
俺に文句を言っていなくなるメンバーも
少なくない。

それでも見返りを求めずにしたことだし
俺も完璧な人間ではないから
自分の非だけを考え反省しようと思ってきた。

恩着せがましいのは嫌だから。


そして俺はいつも人を人間的なレベルで
見てしまっていることに罪悪感を抱えていた。

自分でいうのもなんだけど、
このレベル分けは結構正確な自信がある。
関われば関わる程正確になる。

昔からこれは出来てたし
誰にでも出来るものだと思っていたけど
そうでもないと知ったのは割と最近。

もともとが狭く深くしか人と関われない人間だから
自分と合うか合わないかを察知する習慣が
ついてたんだろうね。

人の好き嫌いは激しい方だった。

自分に素直に生きてたときは
嫌いな人と仲良くする意味も一切わかんなかった。
人生において嫌いな人と関わる事以上に
無駄な事なんてないと思ってた。笑

大好きな人と関われればそれでいい。
そう思っていたし
今も心のどこかでその想いは消えていない。


俺はここ数年批判されることや
否定されることに恐怖を感じていた。

けど、乗り越えなければ
先は無いと思った。


組織の価値を高めることを決めた。
2014年はそこに尽力する。

優秀な人間は最優先で俺の近くにおく。
人間的に成長したり
スキルが高い人ももちろん評価していく。

そして成長出来る場や
各自が自分の好きな事を仕事に出来るように
していけるようなシステムも考える!

全ては俺が決める。

うん、俺が全て決める!!



最後に、

俺は人を偉そうに人間的なレベルでわけたりしてて
これから組織を最適化しようと思ってる、
俺は平等に扱いたいのだけど
この考えは差別かもしれないと思い悩んだとき

「本当の平等とはみんなを同じように扱うことではなくて
頑張った人や優秀な人は評価し
そうじゃない人にはそれなりの評価をくだす」

それが俺なりの平等だと思ったと信頼出来る人に言った。

そのときもらった言葉を。


「差別と区別は違うよ。」


ありがとう。
その通りだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿