2013年11月1日金曜日

オリジナルなオリジナリティ。

中学校位から20代前半くらいまでは
プロのミュージシャンに憧れた。

高校卒業間際くらいから
福山駅前地下道で路上ミュージシャンをしてた。

その頃から考える事がある。


本当のオリジナルとは何なのかと。


オリジナルの曲を作っても
あのミュージシャンっぽいな〜って
自分で思ったり
友達のオリジナルの曲を聴かせてもらっても
あいつが好きなミュージシャンから
影響を受けてるなぁとか思ってしまう。

0からのオリジナリティを発揮するには
音楽を聞いた事が無い状態から
やらないといけないんじゃないかとさえ思った。


少なからず何かから影響は受けてしまうし
名曲だって聞いた事がある。
音楽で涙する事もあるし
その一つ一つに影響を受けている。


時は経ちパソコンを購入し
自分でブログを書いたりするようになった。

そこでもオリジナリティはどうなのかという問題にいきつく。
テンプレートは便利だが誰かと同じデザインだ。
でも、テンプレートは同じだが
自分の言葉で情報を発信しているのだから
それはオリジナルなのか・・?

どこからやればオリジナルなんだよ。。

そんな事を考える。



昔から「オリジナル」というものに
すごくこだわってきた。

それは誰もがそうだけど
自分自身が唯一無二の存在だという自覚があるからだ。

特別だと勘違いしたいわけではなく
誰もがまぎれも無く特別なのだ。

だからオリジナルを追求するのは当然の事だ。


今32歳になって気付いた事がある。
オリジナルを追求するには
膨大な時間がかかる。
一生ってのはおそらくそんなに長くはない。

今まで生きて来た時間をあと3回も繰り返さないうちに
終わりはくるだろう。

そんな中で0からのオリジナルは俺は追求出来ない。

その理由はオリジナルを発見したり
構築出来たとしてそれを発信していかなければならないと
考えているからだ。

そもそも共通の言語を喋ってる時点で
0からのオリジナルではない。笑
人が作った服を着てる時点で、
誰かが作った家に住んでる時点で違う。


そしてまた気付いた。

内面はどうだろう。

誰かに影響されまくって
もみくちゃにされて生きて来た
この人生全体で考えたならば。。


うん、まぎれもなくオリジナルだ。


何故なら全く同じように生きて来た人なんて
存在しないからだ。

親の名前も生年月日も出身地も全て同じ人なんて
絶対にいない!!

いたなら学校で同じクラスになってるはずだし
むしろ同じ席に座ってないとおかしい。笑

そんなのありえない。


見つけた!!
誰もがオリジナルなんだ。

表面的なとこをみれば
自分なんて。。と思うかもしれないけれど
いいとこも悪いとこも全て含めて
誰もがオリジナルなんだ。


誰かが用意してくれたブログのテンプレートを
使おうがそこに書く記事はオリジナルだ。



考えなくても最初からオリジナルだったんだよな。

それでも自分という存在はどういうものなのかを
模索する事はやめたくない。

なんで生まれてきたのか。
死ぬまでに何をするべきなのか。
みんな違うと思う。

得意な事には理由がある。
好きな事にも理由がある。


その先に何があるのか。
誰になんて言われようが
見に行ったらいい。

やりたいことはどこまでもやったらいい。

きっと、それをやる為に生まれてきてんだからさ。

このジャンルのここまでをやる為に。。っていうことも
あるだろうから途中で飽きても気にする事は無い。

途中やめした事も全て自分の血となり肉となっているのだから。



自分の頭の中を100%理解出来るのは
2013年の現在ではまだ自分自身だけだ。

自分を理解出来るのなんて
自分だけなんだよ。

その唯一の理解者の自分が自分を否定したら終わりでしょ。


全ての事には表もあれば裏もある。
マイナスもあればプラスもある。

だったら、マイナスを意識しながらも
プラスとして捉えよう。

そんな建設的な価値観自体が
オリジナリティを探す
オリジナルな要素として重要になるのだから。

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