2013年8月27日火曜日

劣等感を抱えながら生きている。

今思えば成長の過程は
「劣等感」というものを
切っても切りはなせないものだった。

もともと外見的に美しい人がすごく好きで
内面がキレイな人も美しいと気付くのは
結構遅くだったかもしれない。

外見がキレイな人を好きになるのに
自分がダサいままじゃいけないと思い
雑誌をたくさん読みあさっておしゃれを勉強した。

高校になって彼女をつくるようになってからは
一人の人を何年も好きでいたり
短い恋もたくさんしてきた。

恋が終わる度に
「絶対見返してやる!!」
って思ってがむしゃらに努力を続けた。


もともと中学校のバスケ部のときも
腹立ったら実力で見返してやる!!
って思ってレギュラーになったし
結構努力型だと思ってる。

ドリブルやシュート練習も
一人でずっと自主的にやってたしね。


どれだけ成長しても
終わりはないんだって最近思う。

人間として昔に比べて
成長したと自分で実感するくらいだけど
まだまだ成長しなければならないんだと
同時に感じる。


価値観の存在や人の性質等も
経験から見えるようになった。

まだまだ見えていない概念があるのかもしれない。


言葉を聞かずとも行動や態度で
ある程度心理を探る事が出来るようになってからは
あまり人の言葉を重要視することもなくなった。

しかし、厄介なのは
人間って自分の深層心理に自分自身気付いていないこと。

深層心理の部分を指摘しても
本人が未熟ならその概念に考えが及ばず
まるで俺が的外れな事を言ってるような顔をする。

周りから見れば簡単にわかることなのに。


そういうのを相手に気付かせるのは
並大抵の事じゃない。

そういうしょうがない時にも
答えや理由を自分に求めるから
劣等感に繋がる。

自分がもっと実力があれば
どんなことだって心理分析して解決出来るのにと。

言葉の選び方一つでさえ
相手によって変化させていかないといけないのだから。

声のトーン、話し方、話す速度、
身振り手振り、表情等は
一人一人相手に合わせて行わなければならない。

人と対峙するとき
精神は自分だけど態度は自分ではない感じがある。

大勢を前にするときも
それようのキャラがある気がする。

声が大きくハキハキと。。


これも劣等感から身につけた技。
上手に出来ないならキャラづけしてなりきればいい。

こうして本当の自分を人前で出す事が少なくなった。


でも、劣等感があるからこそ成長した。
負けたくない、馬鹿にされたくない、
泣きたくない、逃げたくない、
その一心で。

今もまだ強い劣等感が
時々顔を出す。


これからも向き合って行こう。
成長の為に。

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